堀切さとみ(映像制作者)

 ケン・ローチ最後の作品と言われている『オールド・オーク』を見た。公開2日目、新宿の劇場は満席に近く、若い人やカップルが目立った。そして、紛れもなくローチ監督の最高傑作だと思った。途中で何度も泣いた。両隣りの若者も泣いていた。

 かつて炭鉱で栄えたイギリス北東部の町で『オールド・オーク』というパブの店主をしているバランタイン。彼は若いころは炭鉱で働き、父を事故で亡くしている。
 どんなにさびれていても、人々はそこに住み続けることができる。それが原発の町との違いだろう。それでも住民はくすぶっていて、パブは憂さ晴らしの場になっている。「まるでゴミ捨て場だ」「すさんだムラをみるのはたまらない」と。

 そんな村にシリア難民がやってくる。バランタインは、壊されたカメラの修理を引き受けたことがきっかけで、ヤラという若いシリア人女性と親しくなる。刑務所に拘束された父を残して、一家でイギリスに逃れたヤラにとって、カメラは父親の存在そのものだった。「観たくないものは言葉では伝えられない。カメラは救いなの」

 地元労働者の憩いの場だったパブが、次第にシリア人に侵食されていく。バランタインへの批判が高まっていくが、彼は思う。「世界を代表する富裕国が、シリア人を切り捨てていいはずがない」と。
 国民ファーストという言葉が、映画の中に出てくる。日本よりも前に、イギリスでは同じようなことが起きていたのだ。
 バランタインは言う。「村はシリア人が来る前から錆びれていたんだ」と。弱い者がより弱いものをさげすんでいくことが、バランタインには我慢できない。この優しさが、彼の人生を厳しいものにしてきた。
 
 それでもこの映画は、憎しみや絶望ではなく、希望を描いている。錆びれた炭鉱の町の閉塞感と、虐殺から逃れるために命からがら祖国を追われた人々。どちらが不幸かなどと比べることをケン・ローチはしない。哀しんでいることを感じた相手に、親切にしてあげることはできる。愛犬を突然失ったバランタインに、ヤラの家族は手料理をつくって慰める。まったく違う食文化であろう、それを彼は有難く味わうのだ。

 世界中が傍観するシリアの苦しみを、ケン・ローチは閉じ込めておかない。イギリスの閉塞した労働者や庶民の目を通して、ぐっと身近なものにしてくれる。
 異質なものであるほど、心を通わせることが出来たとき、人間は最も生きる醍醐味を感じるのではないだろうか。
 組合、団結、連帯・・・それらが遠い昔の記憶になった今、人間の可能性がAIに掬い取られようとしている。それに対するローチ監督の答えが、描かれているようにもみえた。

★『オールド・オーク』公式サイト⇒https://oldoak-movie.com