永田浩三(ジャーナリスト・武蔵大学名誉教授)

あの伝説のケルン・コンサートの舞台裏が映画になる!ずっと楽しみにしていた。キース・ジャレットという天才を理解し、幾多の困難を乗り越え、奇跡の演奏を生み出すにあたって頑張った若者の繊細な魂の記録だろうと思い込んでいた。だが、そんな思い込みは冒頭からぜーんぶ裏切られた。いい方向に。映画は限りなく泥臭く、ファンキーでロックだった。映画はすべて事実に基づいているというからすごい。
映画の主人公は、ケルンに住む17歳のヴェラ・ブランデス。演じるのはドイツで多くの賞を受賞したマラ・エムデ。アクション俳優のような体当たりの演技に胸がすく感じだ。高校生のヴェラは、ひょんなことでドイツにやってきたサックス奏者のツアーをブッキングするアルバイトを始めてしまう。ある日、ベルリンにやってきたキース・ジャレットのピアノに魂を奪われる。これだ、このひとの演奏会を実現したい。そして無謀にも演奏会を開こうと勝手に決めてしまうのだ。会場は千人を収容するケルンのオペラハウス。開始はオペラがはねた夜の11時。しかも前金が1万ドル。
キース・ジャレットを演じるのは、アメリカの俳優、ジョン・マガロ。金はなく、疲れ果て、椎間板ヘルニアに悩んでいた。そんなキースを理解し支えるのは、プロデューサーのマンフレート・アイヒャー(演じるのはドイツの俳優アレクサンダー・シェアー)。キースとアイヒャーは、小さな車でヨーロッパを移動。演奏の前日、8時間かけてケルンにたどり着くのだった。
沈黙を重んじ、孤独の森に住むキースの内面は、無理やり旅の同行をする記者がインタビューの中でにじみ出てくる。さらに大事なところに、本来なら禁じ手のような解説が入る。至れり尽くせりのつくりになっていて、観客を置いてきぼりにしない。
いざ本番の日。舞台に用意されたピアノは、キースが希望していたものとは似ても似つかず、音が滅茶苦茶の小型ピアノ。「もしこれが世界最後のピアノであっても、キースは弾かない」とアイヒャーは言い放つ。まさに絶体絶命。
どうなったのか。それは歴史が語ってくれている。

わたしが、キースのアルバムに出会ったのは、公共放送の仕事に就き、京都のディレクター1年目。伝説の音響デザイナー・森田有(たもつ)さんからだ。劇作家でもあった森田さんは、ドキュメンタリーの生命は音であることをわたしに教えてくれた。森田さんはキースやチック・コリアのような、沈黙の中で音の粒が際立つような世界を愛していた。
映画にはヨーロッパの戦後が影を落としている。自分の夢を実現しようと無鉄砲な行動を繰り返すヴェラ。それを謹厳な歯科医の父は認めようとしない。一方、母親は眉をしかめながらも、資金の面でもこっそり応援する。ここにもシスターフッドが存在した。
この世に新しいものが生まれるのは、偶然のことが多い。創造の神さまは、いつも気まぐれで、意地悪もするが、思いがけない出会いや、困難を乗り越える奇跡を用意してくれたりもする。
この世は暗いことに満ち満ちているが、時にはこんな実話があったんだと、ほっこりするのもよいように思う。
★『1975年のケルン・コンサート 原題/KöLN1975』公式HP⇒https://www.zaziefilms.com/koln75

