<評者:那須研一> 
毎木曜掲載・第436回(2026.5.21)

『ぼくの村の話』【1〜7巻】(尾瀬あきら・講談社モーニングKC・1992年初版)

先月(4月)下旬、レイバーネット「三里塚フィールドワーク」に参加、成田空港建設反対闘争の歴史を学び、現在進行中の滑走路増設・延伸工事の現場を見学した。

飛行機の中から見えない現実…空港の外壁に食い込むように残る、農地・住居・闘争拠点(砦や団結小屋)。その真上を飛び交う航空機の轟音。ブルドーザーとパワーショベルで削られた赤土が盛り固められつつある滑走路の土台。

環境を破壊する鉄塊を間断なく離発着させるため、農民から土地を強奪し、自然と農業と集落を崩壊させる愚挙を60 年にわたって続ける資本・国家の暴力性に暗然とする。

尾瀬あきらのマンガ『ぼくの村の話』は、1966年に始まった国家事業=成田市三里塚への空港建設計画が当該集落にもたらした動揺と混乱、村の人たちの闘い、建設推進側の醜悪さ、闘いの中での葛藤…を少年=「押坂哲平」の視点で描き切った迫真の力作である。

(本作は「新東京国際空港建設反対闘争を素材にして描いたフィクション」[あとがき]で、「三里塚」→「三野塚」、「芝山町」→「渋山町」、「戸村委員長」→「戸田委員長」など、実在の地名、人名は変えられているが、事実経過を丁寧に踏まえていると思われる)

1970年、開港予定を翌年に控えながら強固な反対闘争に剛を煮やした政府・空港公団は、農民の土地の「強制収容」に踏み込む。当初小学5年生だった哲平少年は、この年、中学3年生。父母兄姉と共に闘う小中学生たち「少年行動隊」(少行)のリーダーになる(5巻)。

今の三里塚(滑走路延伸を阻む水田)

ここからの、少年少女の奮闘、権力との激烈な衝突、歓喜と絶望の人間ドラマはまさに怒涛の展開。息を飲む。特に「少行」の子どもたちの成長と目覚ましい活躍の描写は、この長編中の白眉である。

強制収容を宣告された日には、少行も農民・学生の隊列に加わる。学校は「同盟休校」。勉強の遅れを取り戻すために、闘う小中学生たちは夏休みに自主合宿を行う。支援の大学生や各地の教員が駆けつけて「先生」を務める。でも、スケジュールを決めるのは子どもたち。「勉強、討論、遊び、食事の支度」、そして、デモの練習!

討論の時間、哲平の幼なじみの少女・真由がつぶやく。「どんなにたくさんの人が便利になったって…そのために、たった1人でも不幸になるんだったら、空港なんて、作っちゃいけないよね」。

機動隊との激突が熾烈を極める中、哲平は中学の教室で訴える。「みんなが、ここにいるみんなが、一緒に闘ってくれたらどんなに素晴らしいか、先生が先頭に立って全員が同盟休校して、学校ぐるみで立ち上がったら…俺らは…勝てます…!」。

そして、少行の仲間たちは「学園占拠」し、全校対話集会が実現する。本作中、最も感動的な場面の一つである。

機動隊の暴力への対抗上、闘争が武装化する中で、警官3人が殺害される(「東峰十字路事件」)。容疑をかけられた青年行動隊の若者たちが連行され、取り調べを受ける中、そのうちの1人・純が自死(三ノ宮文男さんがモデル)。「空港問題などなかったら俺も今ごろ嫁さんなんかもらってりっぱに百姓やっていけたと思います しかし俺は線が細いから闘いにたえられなかったんだな」(遺書より)。

権力との闘争のあり方、抵抗手段としての「暴力」の是非についても考えさせられる。そして終盤、「闘争」は新しい農業(有機農法)の模索、という方向へも展開していく。

作品のどのページも臨場感に満ちている。スピーディーな展開、闘争シーンの迫力、出会いと別れ、人間の心情の細やかな描写…優れた映画を見ているようだ。成田空港問題の秀逸な入門書であるとともに、理不尽な国家と対峙して生きざるをえない今の私たちへの励ましの書である。