
<評者:根岸恵子>
毎木曜掲載・第435回(2026.5.14)
『だめ連の働かないでレボリューション!』(神長恒一 ぺぺ長谷川 ちくま文庫)

ロンドンにいる。カプセルホテルのアナグラに潜って、これを書いている。ダメという言葉に敏感な私は、子供の頃から親、学校の先生、友達とは言いたくない同級生から、「ダメな奴」と言われ続けた。だからその言葉には抵抗がある。しかしダメな人間などこの世にいるのか。と書くと綺麗事を言っているように聞こえるが、総じて社会が求める価値観というのが競争を基本とした資本主義に根差したものであれば、おのずからダメと言われる人間像が見えてくる。
この本はだめ連の神長恒一さんと今は亡きぺぺ長谷川さんによるQ&A方式による対談と、だめ連界隈の人たちによるコラムから主に成り立っている。彼らは「この界隈」という言葉をよく使うが、私の知るところによれば、だめ連周辺には大きく分けて三つか四つの界隈が存在し、それが絶妙に重なり合い、相互俯瞰的に互いに混じり合っている。こうした交流は私たちの活動の連鎖的相互作用を生み出す。つまり、この絡まった人間関係は互いに影響を受けながらゆるく引っ張りあっている気がする。
このゆるい人の繋がりは、会社の人間関係や上下関係のある組織と対極にある。私たちはこの強制的な社会の人間関係を当たり前のように押し付けられ、言葉遣いから、上の人(本当はそんな関係はない)に気を遣えなど、うんざりするような慣習の中で、たてつくとかケツをまくるとかしたいができないまま、身動きがとれないでいるのではないか。それができないとダメの烙印が待っている。
つまり私のように、女だから男にへつらえだの、肩書きがあるからへいこらせよと言われるたび、またそうしている輩を見るたび反吐が出る思いをする人間はダメといわれるのである。社会に適応できない。だから上下関係の温床である賃金労働現場には行きたくない。働きたくない。
働かないというのは資本の言いなりの労働者にならないことと、金を使わないから資本が儲からないのと、金がないから税金を払わないという3つの徳がある。つまり働かないことほどいいことはないといつも考える。

人間は自由だ。あくせく賃金労働しなくても生きていけるよう革命を起こせば、毎日が楽しく嫌なことはしないで済む。食べ物を自分で作る飲も、抗議行動をやるのも、自分の意思だ。踊ったり歌ったり、そうやって生きられたら楽しいに決まっている。それをやってるだめ連は素晴らしい。
もう一つの世界を可能にするのは、資本主義が破綻することだ。気持ちの悪い女の首相は戦争をしたいらしいが、戦争をして得するのは資本だ。武器を売って儲け、破壊された大地を再生するのに儲け、戦争はウハウハな機会となる。権力は今や資本の手先に成り下がり、あの手この手で人民を騙しにかかり、国の言うことを聞く国民を作ろうとしている。それに抗えるのはダメな人間だ。協調性のないダメ人間は同調圧力にも屈しない。プラカード持って戦争反対と声を上げるのも権力に与してないからだ。戦争を止めたければ、資本主義を終わらせたいなら、まずは人からダメと言われよう。ダメな人間が増えれば国は混乱する。この混乱はいいことだ。国はあらゆる手段を使って、ダメ人間を統率しようとするだろう。でも負けてはダメだ。ダメはダメである。言うことなんか聞くわけないのだ。だから、もう一つの世界は可能だ。働かないで革命を起こそう。


