<志真斗美恵 第22回(2026.4.27)・毎月第4月曜掲載> 

●「W.ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代」展(東京都写真美術館)

 W.ユージン・スミス(1918-1978)は、20世紀のアメリカを代表する写真家で、私は、彼に魅かれていた。劇映画『MINAMATA』(2020)も公開と同時にみていた。 今回の展覧会は、彼の〈ロフトの時代〉が主として扱われているとうたわれているが、いってみるとそうではなかった。

 展示は、イントロダクション、第1章「偉大なる都市」、第2章「ロフトの時代」、第3章「展覧会Let Truth Be the Prejudice」、第4章「水俣――報道と芸術の融合」となっていて、ユージン・スミスの全貌をみられる。映画『MINAMATA』もふたたびみることができた。

 アメリカ・カンザス州で有力な穀物商の父とアマチュア写真家の母のもとに産まれたスミスは、地元のダストボウル(砂嵐)被害写真が『ニューヨークタイムス』に掲載され、地元紙の専属カメラマンとなる。父親の自死のときの記者たちの取材と報道姿勢を目の当たりにし「ジャーナリズムのあり方」と「人間の生」を考える。1937年19歳でニューヨークに移り住み、写真学校でまなび、翌年には『ライフ』誌に写真が定期的に掲載されるようになった。その後、戦争特派員として太平洋戦線に赴き、サイパン、グアム、レイテ島、真珠湾、硫黄島、沖縄で写真を撮る。戦後、沖縄戦での取材中のけがで2年間入院。ちいさな子ども2人が、後ろ姿で、手をとり、木々の間を通り抜けていく「楽園へのあゆみ」(1946)は、療養中、自分の子どもを撮ったものである。

 「偉大な都市」は、1955~56年にかけてマグナムからの依頼で撮ったペンシルベニア州ピッツバーグ市周辺を撮ったもので構成されている。「ゴーグルをはめた鉄鋼労働者」(1955)の印象は強烈だ。

 「ロフトの時代」――スミスは、家族と離れ、ニューヨーク・マンハッタン6番街のロフトに移り住んだ。友人への手紙でスミスは書いている。「ロフトというのは奇妙な場所だ。覚えておくこと、やるべきことであふれたメモや試し刷りのプリントがピンで貼られている。」会場には、それらのメモがびっしりと張られた壁が再現されていた。スミスは、ロフトの住人たちやロフトで演奏する〈ジャズとフォークのミュージシャンたち〉を撮影し、窓の下で繰り返される営みを、ひとりの「観客」として、割れたガラス窓から撮影した。〈屋根裏部屋から〉〈私の窓から時々見ると…〉のシリーズは、スミスの「芸術家」としての写真の本質を探究する姿がうかがわれる。

 「展覧会 Let Truth Be the Prejudice」は、1971年ニューヨークで開かれた。600点の作品を自分自身で企画・構成した回顧展であった。彼がつけた展覧会のタイトルは、「真実を偏見となせ」だが、日本展では、「真実こそわが友」とされた。この展覧会は、真実とは何かをみるものに問うている。

 今回の展示にあった「お墓に供えられた花」(1969)と題されたヴェトナム戦争で亡くなった人の墓石をみて、私は学生時代である1969年を思い出した。

 そして「水俣」は文字どおり「報道と芸術の融合」を示している。まさに、ユージン・スミスにとって、その写真は、〈写真を通して社会の現実に向き合う〉もので、芸術的言語として力を持つということをしらせてくれる。その意味で、私はサルガドの写真を思い起こした。

 今年は、水俣病公式確認から70年だが、事態は解決していない。映画『MINAMATA』(監督=アンドリュー・レヴィタス 主演〔制作者の一員でもある〕=ジョニー・デップ)のエンドロールでも「人為的な事件」として、世界各地で今も続く企業による“汚染”が次々と紹介されて心が痛くなった。    

(6月7日まで 恵比寿ガーデンプレイス内 東京都写真美術館で開催)