
●第113回 2026年6月10日(毎月10日)

私が現役の編集者であったころ、ラテンアメリカの歴史と文化・社会に関する関心が深かったから、出来るだけあの社会総体が浮かび上がる企画をいろいろと考えていた。結果的には実現できなかった企画も多いが、そのなかには、『サッカーの社会学』とか『カーニバルの人類学』とでも名づけられる企画があった。サッカーもカーニバルも、あの地域に住む圧倒的多数の人びとにとっては、欠くべからざる年中行事のひとつだ。その精神の真髄に迫りたかった。本丸を射止めることはできなかったが、せめてもと思い、サッカーに関しては、マルセロ・ガントマン+アンドレス・ブルゴ『マラドーナ! 永遠のサッカー少年 “ディエゴ” が話すのを聞いた』(現代企画室、潤田順一=訳、2006年)と、ガブリエル・クーン『アナキスト サッカー マニュアル――スタジオに歓声を、革命にサッカーを』(現代企画室、甘糟智子=訳、2013年)の編集・刊行・販売に関わった。
熱烈なサッカー・ファンとは言えなかった私は、過去の資料映像でたどって、「ファンタジスタ」マラドーナのプレーに魅了されたが、この本を編集してみると、彼はことばの「ファンタジスタ」でもあったことが、よくわかった。あれほどのスター選手でありつつ、プロスポーツ界やラテンアメリカ社会の暗部を鋭くえぐることばや、キューバ革命に対する強烈な共感に満ちたことばが、その語録には溢れ出ていた。
もう一冊の『アナキスト サッカー マニュアル』を書いたのは、1972年オーストリア生まれの、元セミプロリーグのサッカー選手で、社会活動家だ。世界中から、とりわけ多くのひとが気にも留めない地域でのサッカーにまつわる小さなエピソードに注目しながら、膨大な量のサッカー情報をかき集めている。この競技の魅力に憑りつかれた著者だからこその「サッカー愛」は、だが、屈折する。FIFA(国際サッカー連盟)は、IOC(国際オリンピック委員会)同様、巨大マネーを操る国際スポーツ官僚の巣窟になっており、それが著者には許せない。これもオリンピックと同様だが国家別競技なので、偏狭なナショナリズムを煽りがちなことも、気がかりだ。でも、著者は悲観だらけの境地に安住しない。かき集められたサッカー情報は、どれもが、ありきたりのメディアを通して得られる情報とは一味も二味も違い、その一つひとつが、サッカーを今あるのとは異なる形で楽しむよう、読者を誘うものだからだ。スポーツライターの藤島大氏は本書を評して「権力に取り込まれぬサッカー者の存在を世に知らしめて、それが価値だ」と書いたが(「日本経済新聞」2013年2月13日付夕刊)、まさしく、今ある国際サッカー競技の在り方から意識的に離れると、こんな展望が開けてくるのだと語りかけてくるのが本書だ。
この二書を敢えて紹介しようと思ったのは、もちろん、明日6月11日から、4年に一度の男子サッカー・ワールドカップ北中米大会が、カナダ、米国、メキシコの3か国で開催されるからだ。大会史上最多の48ヵ国・地域の代表チームが参加する。そして、今次大会は、マラドーナやガブリエル・クーンが指摘した段階以上に、問題だらけだ。

2022年、ロシア軍がウクライナに軍事侵攻したことを理由に、FIFAと欧州サッカー連盟(UEFA)は、ロシアの代表チームとクラブチームの国際大会への出場を禁止した。この「原則」から見るなら、米国は2026年1月にベネズエラの首都を攻撃し大統領夫妻を拉致連行し、さらに2月末にはイスラエル軍と共にイランへの攻撃を開始して6月中旬の現在にまで至っているが、その米国はなぜ出場禁止措置の対象とならないのか、が問われる。今次イラン代表チームには「ミナブ168」の呼称が付されている。ミナブとはイラン南部の都市の名だ。米国+イスラエル軍が攻撃を始めた2月28日、この街の小学校が攻撃され、168名の子どもたちが亡くなった、とされている。トランプ大統領は当初は「イランの兵器は非常に精度が低い。イランの仕業だろう」と語り、ピート・ヘグセス戦争長官も、米軍の攻撃による死者ではないかと問われ、「現在調査しているところだが、民間人を狙うのはイラン側だけだ」と説明した。マルコ・ルビオ国務長官は「米国は故意に学校を標的とすることはない」と語った。いずれも、もしそれが米軍による攻撃だったとすれば「まずい失敗だった」、つまり戦争犯罪であることを自覚しているからこその言動だろう。その後、ニューヨーク・タイムズ紙などは、それが米軍の巡航ミサイル「トマホーク」による攻撃だったと報じた。米軍の暫定的な内部調査で判明した、と。その後のトランプは、再度この件について質問されても「知らない」と素っ気なくとぼけるばかりだ。メディアもそれ以上の責任追及はしない。戦争犯罪人たち(合理的な理由に基づいて推定)が、朝な夕なにテレビに出ては、責任を追及されることもなく何事かをしゃべり続けている現在の光景は、「異常」をはるかに越えている。FIFAは、2022年のロシアと2026年の米国の軍事行動にはどんな差異があって、異なる二つの判断に至ったのかを明らかにすべきだろう。
だが、実は、この要望も虚しい。昨年12月5日、今次大会の組み合わせ抽選会の席上で、ジャンニ・フインファンティーノFIFA 会長は、突然導入した「FIFA平和賞」の初回はトランプ大統領に授けると発表した。「平和のために比類のない、並外れた行動を取り、それによって世界中の人々を団結させた」とFIFAが評価する人物に毎年贈るそうだ。FIFA会長は、2025年度ノーベル平和賞にトランプを強力に推薦していたようだが、それが外れたので、急遽、代替の平和賞を設けたのかという推測は、10月/ノ―ベル賞受賞者決定。トランプ受賞成らず→11月/FIFA平和賞導入発表→12月/第1回FIFA平和賞をトランプが受賞――という時間的経緯を振り返れば、成り立つのかもしれない。多くのひとが赤面して辞するようなことを、臆面もなくやり遂げる胆力を、この種の人びとは持っているのだから。
さて、FIFAが謳った授賞理由とは真逆なことに、トランプ政権は、大会に参加するイランチームを徹底的に差別・虐待している。イランチームの試合はすべて米国内の競技場で開催されるが、「敵国人」の彼らは米国内での宿泊が認められていないから、試合前は宿泊地のメキシコから駆け付け、試合後はメキシコへ戻らなければならない。試合そのもので驚異的な運動量が求められるサッカーに加えて、イランの選手たちは競技場への往復に多大な時間を使わなければならない。あまりに過酷で、虐待という表現が大げさではないことがわかるだろう。言うべきことはもっとあるが、この程度にしておこう。
他にも、チャック・コール+マービン・クローズ『サッカーが勝ち取った自由――アパルトヘイトと闘った刑務所の男たち』(白水社、実川元子=訳、2010年)のような本もある。人種隔離体制=アパルトヘイト廃絶以前の南アフリカのロベン島。廃絶後の初代大統領に選ばれることになるネルソン・マンデラらの政治囚数千人が投獄されていた監獄島で、囚人たちがサッカーリーグを発足させ、それが自由への闘争に繋がっていったという実話を描いたノンフィクションだ。
戦争犯罪というべき軍事行動を次々と指令しながらその追及も受けずに日々国際ニュースに登場しては、いっそうの排外主義を煽るトランプ政権の面々、主催国のあからさまな排外主義を容認し、収益を上げることにしか関心がないようなジャンニ・インファンティーノFIFA会長、「日本がんばれ!」報道に終始するであろう日本メディア――それらが吐き出す言葉を越えた地点にこそ、「カネと政治と排外主義」に牛耳られたサッカーが、いつの日か再生する未来を展望したいものだ。

