アリの一言

自民党大会(12日)で現職自衛官が制服で「国歌」を斉唱した問題。メディアは社説で取り上げましたが、いずれにも共通した重大な欠陥があります。
朝日新聞(16日付)は社説「自民党と自衛隊 揺らぐ政治的中立」、東京新聞(15日付)は社説「自民大会で国歌 自衛隊の政治利用慎め」、琉球新報(19日付)は社説「自民大会自衛官歌唱 政治的中立の逸脱明らか」。
これらの社説は、タイトルに示されているように、共通して「自衛隊の政治的中立性」が損なわれ、自民党が自衛隊を「政治利用」したことを批判しています。
それはもちろん重要な論点の1つですが、その一方で、各紙とも「(自衛隊は)国民全体に尽くす中立性が求められる」(朝日新聞)、「日々の防衛や災害派遣に当たる隊員に幅広い国民が信頼を寄せている」(東京新聞)、「国民全体に尽くすはずの自衛隊員」(琉球新報)、などと自衛隊(員)を美化し、軍隊として危険な実態には触れていません。
とりわけ八重山諸島などで自衛隊のミサイル基地化が進み、自衛隊員の市民生活浸透策動に批判が高まっている沖縄の代表的県紙が上記のような前提に立っていることはきわめて問題です。
さらにこれらの社説にはもう1つ、重大な共通点があります。それはこの3紙に限らず、今回の問題で批判的コメントを行っている識者(たとえば17日の朝日新聞デジタルでの江藤祥平・一橋大教授(憲法)や平尾剛氏(スポーツ教育学者)、安田菜津紀(フォトジャーナリスト)ら)にも共通しています。
それは、自民党大会で自衛官が歌ったのは「国歌」であるという記述(事実認定)にとどまり、それが「君が代」だということを完全に捨象していることです。上記の社説や識者コメントには「君が代」という言葉すら1つもありません。
問題を「国歌を歌うことの是非」に矮小化してしまうと、「国歌を歌唱することは政治的行為にあたらない」(高市早苗首相、14日)という言い逃れを的確に批判することはできません。
問題は「国歌」を歌ったことが政治的行為か否かという一般論ではありません。「君が代」を歌ったことが問題なのであり、それはきわめて重大な政治的行為だということです。なぜなら、「君が代」には2つの重大な特徴(属性)があるからです。
第1に、それは天皇を元首として賛美し、「天皇の御代」の永続を切望する歌だということです。
「君が代」の歌詞は、「『天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年もつづいて、おさかえになりますやうに』という意味で、国民が心からおいはい申しあげる歌であります」と1941年版『初等科修身二』で説明」されています(佐藤文明著『「日の丸」「君が代「元号」考』緑風出版1997年」。
それが「国民主権」の憲法原則に真っ向から反することは明白です。だから「君が代」を「国歌」と規定する「国旗国歌法」(1999年)に猛烈な反対が起こり大きな政治問題になったのです。
第2に、「天皇賛美」と表裏一体の関係として、「君が代」は「日の丸」とセットで、中国など東アジアへの侵略戦争、朝鮮半島、台湾への植民地支配の手段・象徴になったことです。
帝国日本軍と「日の丸」と「君が代」は「天皇」という鎖でつながれ三位一体となって侵略戦争・植民地支配を推進したのです。
その3者がまさに同じ舞台でそろい踏みしたのが12日の自民党大会であり、高市首相はその場で「憲法改正の時は来た」と豪語したのです。ここに今回の問題の核心があります。
その「君が代」の問題にどのメディアも識者も一言も触れない。これが日本の現実です。


