
<評者:志水博子>
毎木曜掲載・第432回(2026.4.23)
『学校の「男性性」を問う −教室の「あたりまえ」をほぐす理論と実践』
(大江未知・虎岩朋加・前田直哉 教育科学研究会 編著)旬報社

ここ数年、民主的といわれている市民運動や労働組合におけるジェンダーギャップ、もっとはっきりいえばジェンダーハラスメントが気になっていた。
ジェンダーハラスメントとは、性別を理由とする差別や嫌がらせのことと定義されている。性別によって異なる扱いや評価をして、社会的立場や役割を決めつけ、不当な負担や苦痛を与えるなどの行為をいう。それは露骨な悪意を含むものばかりとは限らない。むしろアンコンシャス・バイアスと呼ばれる、自分では気づかず、性別や年齢などに基づいて特定の人や物事を偏って見てしまう「無意識の思い込み(無意識の偏ったものの見方)」の方が問題ではないだろうか。 つまり、当人は善意のつもりで相手に良かれと思ってやった行為ではあるが、その根幹に無意識の差別性が含まれている場合だ。そういうケースはなかなか厄介だ、ちょっとやそっと話し合ったぐらいでは解決はしないだろう。
実は、そんな時に、目に止まったのが本書である。学校の「男性性」を問う。これまでにありそうでなかった問題提起ではないか。そして、ここにも、アンコンシャス・バイアス、つまり本人の自覚なしに生じる「無意識の思い込み・偏見」があるのではないかと感じた。
冒頭には、こう書かれていた、「男女平等だと考えられていた学校は、実は男性を標準としてつくられた、男性中心の場所なのではないか。『学校教育の問題』として語られてきた課題の多くは、実際には『学校教育に内在する男性性の問題』なのではないか。この本は、そうした問題意識を出発点にしている。」と。なるほど、そう言われてみるとたしかに思い当たるところがある。
本書は、前職・現職の複数の教員が、地域の小学校や中学、また男子校や公立高校において自らの経験や実践を通して「学校の『男性性』」について分析し批判していく。実体験から出発しているだけになまなましい。子どもや保護者、何より自分自身と格闘しながら迷い、悩み、怒り、傷つく姿がこれ以上はないぐらい誠実に描かれている。教員という仕事の奥深さを思う。すべてに共通しているのは、個人の問題として完結するのではなく学校や社会の構造の問題としての「男性性」に行き着くところだ。
例えば、第6章「トラブルとしての異性装」では、次のように語られる、「思えばわたしは、生きる社会に対しても、関わる他者に対しても、うまく信頼感を持つことができない子どもだった。しかし、そのことは、個人の問題であるだけではなく、むしろ社会の問題でもある。わたしたちがわたしでいられないのは、たぶん、社会がそれを許容しないからだ。そしてそのことを、社会の問題であると認識できずに、わたし自身の問題であると誤解するからだ。だから、変わらなければならないのは、社会の構造なのだ。」と。
もう1点、共通しているのは、本書に登場する教員たちは、もちろん女性も入るが、自分自身も「学校の男性性」に組み込まれており、それを内面化し、その価値で子どもに接していたことに気づく点だ。例えば第2章「『男性性』の“くびき”をまなざす」では、次のように語られている、「・・それにしても、なぜ、私は、自分の教室の有り様を他者と比較して、子どもをコントロールすることや、『優れて』いることを強調し、子どもを利用して物語を飾ってしまうのか。まず、日本の学校のフォルムが、家父長制的であることが挙げられるだろう。その中で、教師を続けていると、家父長制的な態度が身に付いてしまう」というように。そして筆者は、「自分もまとうことが必要だった『男性性』を脱ぐこと」を意識していく。
また、一方で、本書は「男性性」なるものを考える上での入門書としても読むことができる。第7章「フェミニズムから『男性性』を問う」では、家父長制と男性性の関係性について説かれる。家父長制とは「男性」と「男性」に分類されない人たちを「支配」と「被支配」の関係性に置くことであり、教育も家父長制的思考を支えるような「男性性」を再生産する社会機制の一つである、と。そして、それに対してフェミニズムのペダゴジー、すなわちジェンダー不平等や権力関係を問い直しながら、学ぶ人が主体的に考え、関係性をつくり直していく教育を提唱する。
後になってしまったが、そもそも「男性性」とは何か、については、それぞれの筆者は自らの経験において自らの言葉で語っている。一般的にいえば、第1章「なぜ『学校の男性性』を問うのか」にあるように、男性に期待されるパーソナリティ特性を指し、ジェンダー・ステレオタイプの一部を構成する、と説明される。わかりやすくいうと、「男」とはこのようなものであるという一般的な理解か。その内実は時代や社会によって大きく変化するが、私たちは強い影響を受けるとある。
ならば、まず学校の男性性を認識し、意識上にあげることから始めなければならないだろう。そして支配・被支配に置かれている男性性を変えていかなければならないということか。
本書を読み、現在、学校で問題になっているいじめや競争主義、そして不登校、実はそれらは男性性が大きく影響しているように思った。教育が社会をつくるなら、まずは学校の男性性を変えることが必要だ。そうしない限りジェンダーハラスメントもなくなりはしないだろう。学校を変えたい、社会を変えたいと思っている人にぜひ読んでほしい。

