

<小泉雅英>
4月5日の午後、米国大使館(虎ノ門)近くの高層ビル前の一角で、イランのミナブ・シャジャレ・タイエベ女子小学校への空爆で殺された子どもたちを追悼する集会があり、参加した。米国大使館前で開催される予定だったが、許されなかったようで、この場所となった。
地面にシートを広げ、子どもたちが使っていた教科書や、カバン、履いていた靴、写真などを並べ、献花台のようにしていた。正面には、犠牲となった168人の子どもたちの写真と名前が掲げられていた。 在日イラン人の青年や、子どもたちが代わるがわる発言し、イスラエルと米国の非道を糾弾し、戦争反対を訴えた。日本人では国会議員も発言し、高市政権の戦争加担を批判した。残念ながら、これらの声がなかなか聴き取り難く困ったが、それは道路の反対側に、ネタニヤフ首相の写真を掲げる集団が、大音量のスピーカーで、この小さな集会を妨害し続けていたからだった。
彼らの中には、「日の丸」を掲げる日本人もいたが、その多くは日本語を話す在日イラン人のようだった。日本語とペルシャ語と英語で、現在のイランはテロリストが支配している、自分たちこそほんとうのイラン人だと主張し、私たちの追悼集会を罵倒し続けていた。
こうした妨害にも怯まず、追悼集会は進められ、やがて参加者が少しずつ前に出て、献花し、そこは赤い薔薇の花でいっぱいになった。何度も何度も全員で、戦争反対の声を上げ、イランへの侵略抗議だけではなく、パレスチナ解放(Free free Palestine!) の声も上げた。この後、首相官邸前まで、移動したが、途中、何度も声を上げ、旗を振りながら、行進して行った。イラン人家族の後ろを歩いたが、ヒジャーブ(頭巾)を着けたお母さんが、大きな旗を振り、声をあげる中、一緒に行進するのは初めての体験で、とても新鮮だった。
官邸前でも小さな集会が持たれた。先程のような妨害もなく、在日イラン人の人々、その子どもたちを含め、多くの人が交代で発言した。イスラエルと米国による非道に、決して黙っていないこと、あくまでも声を上げ、闘うこと、私たちは負けないことを、力強く宣言された。 この集会で読まれた追悼の辞を二つ、以下に掲げておきたい。
▼ 追悼辞 在日韓国民主統一連合(韓統連)議長 孫亨根
「(前略) 両親が朝、元気に学校に送り出した小学生の娘が突然、亡くなったという報を聞き、学校に行ってみると学校が破壊され、無残に殺された娘の亡骸を見たら、どうなるのでしょうか。傷心のあまり涙さえ枯れてしまうのではないでしょうか。
私が当事者であれば正気に返るまで、いったい何日を要するでしょうか。いや正気に戻れないかも知れません。
私はイラン人の悲しみを自分の悲しみとして受け入れます。この深い悲しみの中で暮らす遺族やイラン人の心情を思うと胸が重く痛みます。イラン人の悲しみと苦しみは、全世界の人々が共に分かち合わなければなりません。
イランが世界の歴史を正しく前進させるために苦闘し、そのために耐え難い多大な犠牲を強いられているからです。私は、イラン•イスラムの英雄的な闘いを強く支持します。
1979年親米政権打倒の革命から現在まで半世紀近くの間、イランは米国の脅迫と制裁、攻撃に屈することなく、国と民族の主権と尊厳を守り抜いてきました。イランは自主的な国家を守るために、全身全霊で全世界の先頭に立って闘っているのです。
(中略)
イランの反撃によって窮地に追い込まれたトランプは4月2日、イランの攻撃の強化を言い、イランを「石器時代に引き戻す」と脅迫しました。空爆で子供たちを虐殺したトランプは、これからも自分の延命のためには手段を選ばないでしょう。非常に厳しい闘いの連続が予想されるなかでも、私はイランの偉大な勝利を信じて疑いません。私はイランの崇高な闘いが勝利するまで最後まで連帯していく決意です。
イランの空爆で亡くなった子供たちの遺影の前に、私はイラン人と生死苦楽をともにする覚悟を明らかにし、追悼辞とします。 2026年4月5日 駐日米国大使館前」
▼追悼辞 在日イラン人「私のイラン」
「(前略) あの日の朝も、いつもと変わらない普通の朝でした。玄関で靴を整え、髪をとかし、かばんを肩にかけて送り出しました。それが最後になるなんて、思いもしませんでした。家を出るとき、あの子はただ一言、こう言いました。 「ママ、学校が終わったら迎えに来てね。」 この何気ない一言が、今も何度も頭の中で繰り返され、そのたびに胸が締めつけられます。
(中略)
新年のために嬉しそうに選んだ服は、今もそのまま残っています。ノートは途中のまま、そして夢はーその続きを書く機会さえ、もう与えられませんでした。
私は、ただの悲しみに暮れる母ではありません。私は、子どもたちを、「安全だ」と信じて学校に送り出した、すべての母親たちの声です。学校とは、本来、学び、笑い、未来を築く場所です。子どもたちがこの世界の明日をになうための「安全な場所」であるはずです。
決して、その未来が一瞬で奪われる場所であってはなりません。私は(国連)人権理事会のその加盟国の皆様、そして子どもたちの命を守る責任と力を持つすべての方々に訴えます。この悲劇を、決して忘れないでください。真実は明らかにされなければなりません。
そして、この苦しみを引き起こしたイスラエルとアメリカは、責任を問われなければなりません。それは復讐ではありません。正義のためです。世界に伝えるためです。
子どもたちの命は決して軽くないということを。そして、どの親も二度とこのような絶望を経験してはならないということを。 2026年4月5日 駐日米国大使館前」

