岡山県瀬戸内市 森 健一(現代史研究者)

 久下格氏の私記『蒼天』(2025年12月刊)は一気に読めた。何より臨場感がある。光景を「1 国鉄職場 2 三里塚 3 新橋・有楽町界隈 4 鹿児島・大隅半島」と分ける。

1 荷物専用列車:汐留駅を出てから大阪に向けて走行する列車内で集めた荷をさばきながら途中駅で降ろす職場の光景が伝わる。1978年2月、三里塚空港3月開港阻止のため、横堀要塞で機動隊の放水を40時間、浴び、空港反対同盟から、凍死する、4人は鉄塔から降りよと指示がある。乗務員室で「百姓が土地をとられるのも労働者が職場をとられるのも一緒じゃないですか」と言うと、職場分会の国労リーダーの巌さんは「並みの人間にはできるもんじゃない」「俺だって百姓の子だからな」と応ずる。横にいた埼玉・秩父の小農家の出身の児玉は、主人公(青木)とともに三里塚の二期工事阻止の農家の援農にゆく。

2 三里塚の労農合宿所:北総台地の周縁部の谷津〔やつ〕には段々に水田がひろがり、見渡すかぎり蒼い空だ。「豊穣無辺の畑作地帯に滑走路と騒音は似つかわしいものではありません」(78年3月、管制塔占拠直後の反対同盟ビラ)。今、このアピールが一層、響く。収用予定地を「一坪再共有化」で阻む運動は、1400名まで広がるが、反対同盟は、北原派と熱田派に割れており、1984年、中核派による第4インター派へのテロが起こされる。内ゲバに反対、報復をとどめたインター派ものちに労農合宿所での女性差別事件で自己崩壊している。

3 主人公の妻、同志であった、浜崎和江のいた都庁職場では、都職労内の一人の反戦派の執行委員だけが応援、「浜崎さんを守る会」が広がる。1950年のレッド・パージ反対闘争での労働判例を根拠に、共産・社会の執行部に有罪確定がするまでの労組員資格を認めさせる裁判で「和解」まで得たが、肝心の三里塚闘争で指導した党派は冷淡であった。主人公は1の荷物列車の車掌区から新橋駅ホームに配転となっていたが、一人、毎朝、有楽町の都庁前で訴え、謄写インクを爪に残して、闘わざるを得ない和江を労〔いた〕われなかったと記す。

4 浜崎和江は、評者が私立高校職場で27年いた、鹿児島県の大隅半島の小農家出身だ。高校進学がかなわず、東京南部の中小の電機職場では労災、頸肩腕症となる。都立の定時制に通い、安定した都庁に就け、実家の父は大喜びした。けれども70年代闘争で党派に従った結果が3だ。高校で党派(第4インター)に加わった主人公も、「党派は〔社会革命の〕金槌だ」と心底から信じていた。しかし、2のように党派は幹部から崩壊、対立した中核派も同様の女性差別事件を起こした。

 私は、久下氏の『蒼天』を読みおえて「なぜ70年代闘争は、世代継承されなかったのか」の問いに2、3の答えを見いだす。今も三里塚闘争を受け継いだ活動家は全国にいるからだ。わかるのは、1つは、反対同盟のいう「自然、豊穣な土地との共生」を運動が内包できなかった。3・11以降、今、「令和の百姓一揆」を知ると、ここにこそ、活きているのではと感ずる。2つ目は、他党派の存在を認めない、ボルシェビキ型の党建設の見直し、脱却である。1970年代の内ゲバ主義はここに由来する。2015年の安保法制反対、「アベはやめろ!」以降の市民運動では、セクト主義をとらせなかった。3つ目は、70年代闘争が軽んじた女性の視点である。党派から粗略にされ、主人公とも離れた浜崎和江は、労農合宿所の元の活動家と房総の地で再起、生前、3・11以降の国会前行動に姿があったと風聞で知る。生きていたなら何かの縁があったのではと読んだ。

 久下氏の私記を読みおえて、今、もっとも困難を抱えている人々、粗略にされている人々への共感なくして、闘争の世代継承もない。当然、党(党派)による社会変革はないと胸に手をあてるべきと改めて思い知らされた。

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