
●フランス発・グローバルニュース NO.20(2026年6月11日)
土田修(ジャーナリスト、元東京新聞記者)
高市首相の陣営が自民党総裁選や衆院選の期間中に、対立候補や他党を誹謗中傷する「ネガキャン動画」を大量に作成し拡散したとされる疑惑が週刊文春によって暴露された。文春側は、公設秘書が動画作成者と行ったweb会議の音声を公開しているが、国会質問で野党に追及された首相は関与を否定し、秘書の音声についても「確認が難しい」「違和感がある」などと逃げの答弁を続けている。
ところが、この事案に関与したとされるIT会社代表の松井健氏が共同通信の取材に応じ、「高市早苗氏の陣営の交流サイト(SNS)戦略について相談に乗ってほしいと知人を介して依頼された」と証言した。自民党総裁選と衆院選で高市陣営が、ライバル候補や野党を誹謗中傷する動画の作成や拡散に関与した疑いは極めて濃厚になった。
芥川賞作家の平野啓一郎さんは6月10日にXで、「もしこの卑劣な手段を使わなかったら、彼女は首相になれなかったし、自民党がこれほど大勝することもなかった」と書いた。「つまり、間違った人間が総理になってしまった間違った世界に、私たちは生きている」。われわれが声を上げ行動することで「間違った世界」をたださなければ、形骸化した民主主義が本当に死んでしまいそうだ。
実は、政府は「誹謗中傷・権利侵害対策」「未成年の保護」とともに、選挙結果への悪影響を軽減するため「選挙の偽情報対策」を軸にしたSNS規制の法整備を急ピッチで進めている。「ネガキャン動画」疑惑は、この法律によって取り締まりの対象となる格好の事案ではないか。高市陣営はこの法律が施行される前に駆け込みで「ネガキャン動画」を作成・拡散したのだろうか。
共同通信の報道について記者から真偽を問われた首相は「(他人を誹謗中傷することは)私の流儀ではない」と答えをはぐらかせた。もちろん、「ネガキャン動画」に首相自身がどこまで関与していたかは明らかではない。だが、法や制度を整備する側が自ら犯罪的行為を犯していたとすれば大問題だ。そのうえ、情報操作疑惑を抱える政権が、今度は国家情報機関とAI監視システムを整備しようとしている。
◾️AIを使った国民監視システム
「ネガキャン動画」と「虚偽答弁」疑惑。それの火消しに追われている政府が、一方でインテリジェンス(情報収集・分析)機能の強化を図っているとしたら、不安を感じるのは筆者だけだろうか。先月27日、政府のインテリジェンス機能の司令塔となる「国家情報会議」と、その実務を担う「国家情報局」を新設する法案が国会で成立した。政府はこの2つの組織を7月以降に設置し、情報活動の指針となる国家情報戦略を策定するという。
いよいよ高市政権は米国中央情報局(CIA)型の情報機関創設を通じて、国家安全保障を名目に情報集約体制の強化に踏み出した。問題は、その情報収集の対象が対外諜報にとどまらず、国民監視へと拡大しかねない点にある。しかも、高市政権はAI(生成人工知能)を使った国民監視システムを導入し、インテリジェンス機能の実効性を高めようとしている。

首相は3月5日、アメリカのAI企業「パランティア・テクノロジーズ」(以下、パランティア)の会長ピーター・ティール氏と面談した(写真)。それ以前の1月には小泉進次郎防衛大臣がワシントンにあるパランティア本社を訪問し、同社幹部との会合で安全保障分野におけるAIの活用状況について話し合っている。
パランティアは、CIAの投資ファンド「In-Q-Tel」の出資を受けている「国家御用達」企業で、「ゴッサム」と「メイブン」というデータ分析システムを開発している。異なるデータベースを横断的に統合・分析することが可能なゴッサムは、行政・警察・入管などの情報をいとも簡単に結びつけることができるデータ統合・分析システムだ。
マイナンバーカードの情報やSNSの個人投稿履歴、携帯電話の通話記録、犯罪記録、納税記録なども技術的に統合可能である。これによって、国内外での移動、交友関係、SNSの投稿内容といった個人の行動を丸ごと把握し監視できるうえ、「標的」として選別された個人の行動パターンや交友関係、問題組織とのつながりなどを自動で分析し、テロや犯罪を犯す可能性まで予測する。
問題はゴッサムだけではない。パランティアは、ゴッサムの戦争版「メイブン・スマート・システム」(以下、メイブン)を米軍に提供している。メイブンは衛星画像、ドローン映像、位置情報などを統合し、瞬時に「標的選定作業」を行い、どの兵器で誰を攻撃するのかを提案する。米軍はメイブンを標的分析や戦場認識に活用しているとされる。「戦争OS」と評されるのも不思議ではない。
経済学者フランチェスカ・ブリア氏は「権威主義テックによるクーデター」という論考(ル・モンド・ディプロマティーク紙2025年11月号、日本語版で邦訳予定)で、「パランティアは、防衛史上もっとも驚くべき事例の一つである」と書いた。重要な軍事機能を民間企業に移転することで、標的選定・部隊移動・情報分析に関する決定が米軍司令部ではなく、民間企業のアルゴリズムに委ねられることになるからだ。
デジタル界の異端児といわれるテクノロジー評論家エフゲニー・モロゾフ氏は、「米政府は白日の下で産業部門を選び、価格を決め、民間企業に出資し、国際援助を受ける者の政治的忠誠をその条件にしている」(「アメリカには計画がある」、同上紙2026年6月号)と書いている。巨大AI企業と国家の融合について、彼は「軍事ネオリベラリズム」と名付ける。それは、国家が防衛支出を増やして総需要を押し上げる「軍事ケインズ主義」に、利益をパランティアやスペースXのような民間企業に流し込む構造を加味したものだ。
◾️「戦争OS」と「標的生成AI」
イスラエル軍はガザ戦争でLavenderという「標的生成AI」を使っている。このAIによって、イスラエル軍は3万7000人を標的として選別したといわれるが、データ統合、AI分析、標的候補生成まであらゆる機能がメイブンとそっくりなのだ。違いはメイブンがフルスタック型の統合プラットフォーム(OS)だとすれば、Lavenderはアプリケーションに近い特化型の推論エンジン(入力された情報をもとに結論を導く仕組み)という点だけだ。パランティアはイスラエル政府と協力関係にあり、テルアビブにオフィスを開設している。
イスラエルだけでなく、欧州各国にも売り込みをかけており、ヘッセン州やハンブルク州などドイツの複数の州警察がゴッサムを導入したが、市民団体が違憲訴訟を起こした。ドイツ連邦憲法裁判所は2023年2月に、ドイツ基本法の「人格権」と「情報自己決定権」に抵触する恐れがあるとして、自動データ分析を可能にする州警察法の規定に対し違憲判断を下している。
2018年以降、パランティアはスイス政府・軍・保健当局に売り込みをかけてきたが、契約は一つも成立していない。「国家安全保障(データ主権)」に抵触するリスクがあることも、パランティア導入に足踏みしている理由なのかもしれない。
欧州各国がパランティア導入に慎重になっているのは国家の「デジタル主権」が冒される可能性があるからだ。アメリカには「クラウドアクト(CLOUD Act)」(2018年成立)という法律がある。「米同時多発テロ事件」(2001年)以降の監視法体系(愛国者法など)の一つだ。この法律によって、米国政府は令状などの法的手続きに基づき、海外サーバーにあるデータであっても米国企業に提出を求めることができる。国家機密が、アメリカの巨大AI企業を通じて米政府に丸裸にされる恐れがあるというのだ。
◾️トランプ政権に食い込む「テック・ライト」
パランティアを創設したピーター・ティール氏は、オンライン決済システムPayPalの共同創業者でもあり、その後、イーロン・マスク氏の宇宙ロケット開発会社スペースXにも投資している。学生時代から共和党を支持し、2017年の大統領選以来、ドナルド・トランプ氏支持を公言しているティール氏は、反民主主義を唱える「闇の啓蒙思想家」カーティス・ヤービン氏と思想的に近い。また、「テクノロジーこそ人類の幸福と富の源泉である」として、米ベンチャー投資家マーク・アンドリーセン氏の「テクノロジー楽観主義」宣言を受け継いでいる。
テクノロジー業界で指導的立場にあるヤービン氏の思想の中心にあるのは、議会制民主主義を「非効率な統治形態」とみなし、国家を企業のように運営すべきだとする「CEO国家論」だ。アンドリーセン氏は「ESGやSDGs、脱成長は共産主義から派生したゾンビ的な考えだ」と考える「テクノロジー右翼(テック・ライト)」の思想家だ。ティール氏はテクノロジー楽観主義の敵として中国を批判するテック・ライトをトランプ政権に結びつけることに成功した。
民主主義を否定し、ポリティカル・コレクトネスに反対するティール氏の野望は、アメリカを強力な執行権力を持つ「CEO型国家」に変えることだ。そのためティール氏らテック・ライトが期待をかけるのはトランプ大統領ではなく、ヴァンス副大統領だ。ティール氏は、ヴァンス氏が初当選した2022年のオハイオ州上院議員選に巨額の資金を提供しており、第二期トランプ政権でヴァンス氏を副大統領に推挙している。メディア界ではティール氏が「影の大統領」といわれることもある。
◾️「デジタル主権」の弱体化を招く米巨大IT企業への依存
高市政権はスパイ防止法や国家情報庁の設立をめざし、パランティアの「市民監視・戦争OS」を導入しようとしている。国内をデジタル支配の「治安維持体制」に変えるだけではない。このOSは政府や企業が別々のデータベースで保管している情報を統合することで、日本の中枢データが米巨大IT企業のシステムに依存してしまうことになる。
欧州各国がパランティアのシステム導入に慎重なのは、国家の「デジタル主権」が奪われることを恐れているからだ。世界は国家主権が巨大テック企業に隷属し商品化される「デジタル帝国主義」の時代に入っている(モロゾフ「主権というアメリカ製商品」、ル・モンド・ディプロマティーク2025年11月号)。
アメリカと中国のAI競争は、画像処理プロセッサや半導体をめぐって、軍事・産業・インフラ・データを含む総合的な覇権争いに発展している。AIによる新たな世界覇権の構図を前に、AIを使ったお粗末な「ネガキャン動画」疑惑に足元をすくわれている日本政府が、パランティア導入の危険性を理解し制御する能力を持っているとは到底思えない。日本が「デジタル従属国家」への道を歩む危険性は確実に高まっている。

