
<アリの一言>
先月末のアジア安全保障会議(シンガポール)で、東アジア諸国から「東南アジアは重大な戦略的転換期を迎えている」(ASEAN事務局長)、「われわれは(米中)どちらの側にもつかない」(ベトナム国家主席)など、アメリカとも中国とも距離を置く新たな自主的外交を目指す発言が相次ぎました(1日付京都新聞=共同)。
これに対し、日本から出席した小泉進次郎防衛相は日米軍事同盟の深化を賛美し、中国を批判する従来の姿勢に終始しました。
そんな日本は世界からどう見られているのか―興味深い論説コラムがハンギョレ新聞(5月27日付日本語電子版)に掲載されました。タイトルは<韓国は「プランB」なき日本とどのように協力していくのか>。以下、抜粋します(太字は私)。
<先月10日に英国「フィナンシャル・タイムズ」に掲載された「トランプ大統領に『No』と言えない日本」という記事を何度も読み返した。…「予測不能な」トランプ大統領の登場により、米国は少なくとも今後3年間は「信頼できない」国のままだが、日本に「プランB」は存在しない。代替案なき日本は、「トランプ大統領の機嫌を取ろうとすればするほど、(そのことをよりよく知る米国から)ますます惨めな扱いを受けざるを得ない」ことになる。このもどかしい現実こそ、「『No』と言えない日本」を襲っている「国難」の正体だと言える。
この「不幸な構図」は韓国にもそのまま当てはまるが、韓国と日本の間には決定的な違いがある。長い歴史を通じて形成されてきた両国の「中国観」だ。
興味深いのは、日本は厚かましい侵略戦争を繰り広げた結果、無惨に敗北したにもかかわらず、東アジアの戦後国際秩序が彼らに有利な方向へと再編されたことだ。現在この秩序を維持しているのは米国、つまり「米日同盟の力」だ。したがって、韓国人が「米中どちらにつくのか」との問いを「道具的」に受け取るとすれば、日本人は生死にかかわる「存在論的」追及だと感じる。まさにこの点で、韓国と日本の「中国観」は根本的に異なる。
高市首相は、3月の首脳会談でトランプ大統領に抱きつくという行為と、「世界に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」という露骨なへつらいを交えつつ、米国と中国の「戦略的接近」の阻止に最善を尽くしたが、実現できなかった。トランプ大統領と中国の習近平国家主席は今月14日に北京で会談し、両大国が今後「建設的戦略的安定関係」を築いていくことで合意した。習主席は会談で「高市の日本」に対する激しい怒りをあらわにしたという。
韓日が力を合わせ、米中双方からある程度の自律性を確保する「プランB」を考えることはできないだろうか。改憲を通じた米日同盟の強化という「プランA」にすべてを賭けようとしている日本は同意しないだろう。日本との関係改善は良いことだが、具体的にどのような協力を進めていくのかについては、今後かなりの「意見の相違」があらわになっていくだろう。>(キル・ユンヒョン論説委員)
英国フィナンシャル・タイムズは、日本を「トランプに『No』と言えない日本」と形容し、それが日本の「国難」だと指摘しています。当の日本(メディア、市民)にその認識はあるでしょうか。
韓国ハンギョレ新聞は、「韓日が力を合わせ、米中双方からある程度の自律性を確保する「プランB」を考えることはできないだろうか」と提起しながら、「改憲を通じた米日同盟の強化という「プランA」にすべてを賭けようとしている日本は同意しないだろう」と見透かしています。
日本はなぜ「プランA」に固執し「代替案」を持つことができないのか。なぜ「プランB」を考えることができないのか。
世界の識者が共通して指摘する日本の「国難」を当のわれわれが認識できない。自民党政権と翼賛野党、体制順応メディアの下で日本全体が“裸の王様”になっているのではないでしょうか。

