*宝地戸百合子さん(中央)とパーソナリティのしまひでひろ(右)ささきゆみ(左)さん

放送アーカイブ(60分)

 6月14日の「あるくラジオ」は、JALを不当解雇され、その撤回を求めて15年間闘い続けている、JHU(JAL被解雇者労働組合)の宝地戸百合子(ほうちどゆりこ)さんをゲストにお迎えしました。打ち合わせ時刻の午後1時ジャストにあらわれた宝地戸さんは、笑顔がステキな方でした。宝地戸さんは1977年にJALに入社し、2010年に解雇されるまで33年間客室乗務員として勤務しました。入社当時は、キツイ仕事、厳しい先輩に、やめようと思ったこともあったそうです。仕事にも慣れたころ、1982年に24名の犠牲者を出した羽田沖事故、1985年には520名の犠牲者を出した御巣鷹山事故が起こりました。

 宝地戸さんは、組合の役員として現地にとび、遺体が次々に運び込まれる体育館で乗務員の家族のケアにあたりました。この二つの事故を経験して、宝地戸さんは、自分たち客室乗務員が「保安要員」であることをつくづく自覚したそうです。「事故が起こったときは自分の判断が最後のときもある」と。御巣鷹山事故では、客室乗務員のアナウンスのメモが残されていたそうです。宝地戸さんは、その「ミミズ」のような文字のメモに、最後まで自分の仕事をまっとうしたいという強い想いを感じ、思い出すと泣けてしようがないと、目を潤ませながら話しました。

 宝地戸さんが所属していた客室乗務員組合は、「ものを言う」組合だったので、労働条件の改善や安全問題にも果敢に取り組んできました。2010年のJALの経営破綻で、人員削減が実行に移されると、宝地戸さんも、整理解雇の可能性を示唆する退職勧奨を受けました。会社は削減目標を大幅に超えても、組合員の解雇を強行しました。経営難を口実にした、組合つぶしでした。宝地戸さんは、これを「絶対に許せない。ずっと怒っている。この争議をうやむやに終わらせたくない」と語りました。

 15年の闘いの支えは、「仲間がいたこと、支援者がいたこと、夫の協力」だったそうです。解雇の解決で、「人権を取り戻したい」と言う宝地戸さん。この番組がその想いを受け止め、支援の輪を広げたると一助になればと思います。(佐々木有美)