私は毎年、3月というこの時期、定点観察を目的に福島県浜通りから福島県民大集会を経て、プラスアルファの原発関連の取材を行ってきた。15年という年月は、政府をして原発回帰を言わしめ、東京電力は原発震災後初めての原発再稼働を実行に移した。この中で、市民の意識はどう変わったのか、また変わらなかったのか。

動画 「原発震災・15年を問う「継承」という課題」(19分30秒)

浜通りを回ると、その疑問はある事実を前に吹き飛ぶ。それは、線量があの時と変わらないという事実だ。原発付近の公共道路上では自転車、バイクの通行規制が敷かれている。人は、車を降りて外を歩けないのだ。そのような厳しい状況の中で、人は何を感じているのか。

              双葉町から大熊町の間で

第1原発がある双葉町の中間処理施設の間際で取材を試みたところ、写真撮影が認められなかった。そこは、その先が「帰還困難区域」になっている、つまり線量が高いということだ。その事実を伝えたかったのであるが、かなわなかった。事実を伝えられない現実が、そこにあった。

             双葉町の中間処理施設付近

福島県民大集会が今年は1100人の参加で行われた。今年は、シンポジウム形式で震災時に福島で生きた人々が、今の自分を語った。大熊町出身の大賀あや子さんは、新潟県東電柏崎刈羽原発再稼働の是非を問う県民投票請求署名運動から新潟県庁包囲行動の取り組みを報告。第28代高校生平和大使の後藤絆希(つなき)さんは、「15年が経った今、継承とは知識を受け取ること、受け取ることだけではなく、どれだけ自分ごととして考え、感じ、繋げ、次に繋げていけること、いけるかということだと思います。」と訴えた。

               大賀あや子さん

浜通りの学校では、人がなかなか戻れない状況下で、教員たちはここで暮らす子どもたちに関わっている。また彼らも15年という時間を経て、ここで学びとったことを県内のほかに地域に広げる作業を行っている。福島県郡山市で震災時中学校教員だった阿部昭比古さんは、現在故郷の新潟県に避難している。そして、そこで自身が震災時経験したことをもとに原子力防災の授業を行っている。

事実をごまかして、ゆがめてしまうことは決して許されない。福島原発震災の経験が私たちに厳しい視点を与えた。そのチェックの視点の大事さを再々度確認できた、そんな取材の旅でもあった。(湯本雅典 2026,3,18~24)