
<評者:黒鉄好>
毎木曜掲載・第425回(2026.3.5)
『それでも日本に原発は必要なのか?』(青木美希 著、文春新書、本体1,000円、2026年2月)

福島第一原発事故からまもなく15年。今年は、1986年のチェルノブイリ原発事故からも40年となる。吹き飛ぶ原子炉、首相官邸前に結集した20万人のデモ隊を見て、これで原発の時代も終わると誰もが思ったはずだ。
今、振り返ってみると、あの高揚は何だったのかと思えてくる。史上最悪の原発事故を起こしたこの国の政府が目指しているのは、あろうことか原発の復権だ。だが、この国の政府と原子力ムラが表向きは「死んだふり」をしながら、裏では着々と復権に向け動いていたことを本書は読者に知らせる。
1990年代まで太陽光発電技術で世界トップを走っていた日本が、なぜこの分野で見るも無残に凋落したのか。青木さんは当時の関係者を取材し、再生可能エネルギー(再エネ)の研究を行っていた旧通産省工業技術院が組織ごと消え、国の支援も尻すぼみに終わった事実を明らかにする。エネルギー予算のうち、原発と再エネでは予算規模が1~2桁も違う。福島の事故直後ですら、原発予算は再エネの2倍もあった。国の原発回帰政策で、事故などなかったかのように、再びその予算格差は広がりつつある。
日本との違いを探るため、青木さんはドイツ、イタリア、韓国を訪れる。ドイツでは再エネ発電所の計画段階から住民が参加し議論する。国土の2%を再エネ発電所に割り当て、地元自治体に利益が落ちるシステムも住民論議で決まった。「偉い人が密室で決め、野党は反対するだけ」で結局押し切られて終わりの日本とは、民主主義の質の違いを実感する。
メローニ首相が極右政権を率いるイタリアでは原発容認の動きもあるが「医療廃棄物の処分場ですら立地が難しい」イタリアで、原発を引き受ける地域などあるわけがない(与党出身の下院議長)との声もあり、与党「イタリアの同胞」内も一枚岩ではないという。電力会社による強力な原発推進のロビー活動に多くの議員が絡め取られ、進歩派の政権になっても脱原発ができないでいる韓国の現状は日本とよく似ている。
本書の後半では、不安定、コスト高、一部業者による森林破壊ばかりがフレームアップされ、退潮著しい日本の再エネの可能性を探る。長崎県福江島沖に建設された浮体式洋上風力発電は、漁業への影響を心配していた漁民も納得し、今年、本格稼働を迎えるが、課題も浮き彫りになった。国が一貫して再エネを軽視し、長期継続的な投資が可能となる環境を整備しないため、撤退と縮小のスパイラルが続いているのだ。一方、被災地で芽生えた営農型ソーラー発電は電力の地産地消の面から、また24時間、発電量をほぼ一定に保てる地熱発電は安定性の面から今後に期待がかかる。
著者の青木さんは朝日新聞所属だが、記者職を外されて6年。会社からの嫌がらせは日々続く。吉田昌郎・元福島第一原発所長をめぐって起きた「吉田調書」問題で自民党政権に屈して以降、朝日紙面から意味ある原発報道はほぼ消えた。電力業界誌でさえ疑問を呈する「AI(人工知能)とデータセンターのため原発は必要」論に、昨年、経済誌のインタビューで公然と支持を表明したのは角田克・朝日新聞社長だ。福島15年の今、私は角田社長に問う――朝日を去るべきは青木さんではなくあなたではないのか、と。


