<評者:大西赤人> 
 毎木曜掲載・第421回(2026.2.5)

『生きる言葉』(俵万智 著、新潮選書、940円)

 父親である大西巨人が創作と記憶とに関して語ったラジオ番組の中で、こんな話をしていた。
〝私は、青木昆陽が触れたり森鷗外が用いたりしている「午夜(夜中の意)」という言葉をいつか自分でも使いたいと思っていた。ある時、「夜中にも夜明けにも」という趣旨の描写をしたくなり、ここで「午夜」が使えると考えた。しかし、「午夜」を受けるに相応しい「朝」を表わす言葉が出てこない。あかつき、あかとき、明け方、夜明け、払暁《ふつぎょう》……一晩考えても見つからない。翌日になっても浮かばないので散歩に出て歩いていると、ふと、斎藤茂吉の短歌「朝明けて船より鳴れる太笛の……」が頭に出てきて、「午夜」に「朝明け」、『ああ、これだ、朝明けだ』と。〟

 「朝明け」自体は際立って珍しい言葉ではないにせよ、容易に思い当たらなかったのだろう。そういうことさら文脈に馴染む一語を求める機会は大西にもあるものの、今では、パソコンやスマホによって対象語句――「朝」や「夜明け」の「類語」「言い換え」を検索すれば、瞬時に数多の語句や表現が立ち現われる(それらの中には、当然ながら「朝明け」も存在する)。ただし、そのような方法で言葉を見出しても、創作者として特段のエピソードとはなり得ないだろうが……。

 俵万智の第一歌集『サラダ記念日』が社会現象的大ベストセラー(約260万部とされる)となった1987年から、間もなく丸四十年が経過する。以降、精力的に活躍を続けている俵も六十代、しかし本書においても、「コミュ力」「ドヤってしまう」「マジか!」「めっちゃ」「ディスる」「クソリプ」「バズる」などの今風の言葉をも臆せず使いつつ、「著者はじめての『ことば』論」を展開している。

 率直に述べると、俵の息子さんが通った「宮崎県の山奥も山奥、熊本との県境近くにある」全寮制中高一貫校の話、ラッパーのMummy-Dとの話、歌舞伎町のホストとの歌会の話、ヒコロヒーの小説『黙って喋って』の話などは、あまり面白くは読めなかった。俵の書きようが概ね手放しの讃辞なので、かえってそれぞれに対して疑義を感じてしまったのだ。実際、ネットで検索すれば当該学校における問題点も眼に留まるし、また、Mummy-Dの「ラップは、パーカッシブな、打楽器的な表現」という過去の発言を「ラップは『パーカッシブな打楽器的表現』と言うDさん」と微妙に――しかし決定的に――誤って引用しているあたりなども気になる。一方、非常に興味深く読み進んだ部分は、現代を象徴するSNSやAIに関する章であり、とりわけAI=コンピューターに短歌をはじめとする「創作」が可能であるのかという命題だった。

 昔から、「無限の猿定理」というテーマが存在する。これは、「猿がタイプライターの鍵盤をいつまでもランダムに叩きつづければ、ウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す」(Wikipedia)という仮定であり、計算上は宇宙の寿命よりも長い時間が必要とされる。即ち、常識的に考えればほぼ起き得ない事象だが、しかし、絶対に不可能とは言いがたい。今やコンピューターを駆使すれば、処理速度も猿の比ではあるまい。しかも、たとえば千個のサイコロを振ったとして、一回目に総てが一の目になる〝かも〟しれないのだ。

 以前から大西はこの定理を敷衍《ふえん》しており、シェイクスピアの作品はさておくとしても、俳句や短歌の上五文字をコンピューターに計算させたら、人間に作り得る古今総ての上五文字は網羅されてしまうだろうと考えていた。雑に五十音として50の5乗=3億1250万通り、莫大と言えば莫大だが、仮に「ん」から始まる物を外すだけでも625万通り減らせるのだ。ヒトの全DNA塩基配列(約30億対)を解読した「ヒトゲノム計画」に較べれば、十分の一ほどに過ぎない。いえ、上五文字を極める作業の意義は判りませんが……。

 今や短歌を詠むAIも開発されている現状に対して、俵はこう記す。
「言葉から言葉をつむぐだけなら、たとえばAIにだってできるだろう。心から言葉をつむぐとき、歌は命を持つのだと感じる」

 そして、「決してAIを敵視しているわけでも、張り合おうと思っているわけでもない。本質的な違いを認識したうえで、面白い相棒として付き合っていけたら、というのが私のスタンスだ」と述べ、こう続ける。

「上の句だけができて、下の句が決まらない時や、一か所だけ言葉が埋まらず空白になっていることは、よくある。そんな時に、AIに頼めば瞬時に無数の候補を出してくれる。もちろんそのまま採用するというのではなく、そうかそういう言葉もアリかと、行き詰まった発想を刺激してもらえそうだ」

 後の言及には、冒頭の「朝明け」の話とも通じる要素がある。作り手が苦労してつむぎ出した一語と、AIが瞬間に弾き出した一語。文字として読む者にとって、そこに違いを見出し得る・感じ取り得るのだろうか? 短歌AIによる作品を様々に解釈しつつ感動さえ覚えた俵は、「いや、たぶん意図などというものはなくて、あるのは出力された意味だけだ。それなのに、こんなにグッときてしまう自分が、ちょっと怖かった」と述懐する。どうだろうか、AIは単に文字の順列組み合わせの結果のみで三十一文字をつないでいるのだろうか?

 大西は一年ほど前、ChatGPTに「400字以内の長さで、面白く、意外なオチのあるショートショートを作って下さい」と求めたことがある。コンピューターは数秒で一作をまとめ、もう一回の要望で、なお一作を仕上げた。その実物をここに引くことはスペース的に出来ないが、どちらも内容、文章ともなかなかの出来だった。そして、こんなやり取りがあった。

大西「このストーリーには前例がなく、いま新たに作られたものですか?」
ChatGPT「このストーリーは、私が今あなたのリクエストに応じて新たに創作したものですが、アイデアやオチの形式自体は、他の創作物と似たようなものも存在するかもしれません。(略)とはいえ、話の具体的な内容やオチは完全に私が考えたオリジナルです。(略)ですので、完全に新しく創作されたストーリーと考えてもいいでしょう!」

 事態は既に相当な段階に達しているようである。