毎木曜掲載・第419回(2026.1.22)
評者:大場ひろみ

●『立ち退かされるのは誰か?―ジェントリフィケーションと脅かされるコミュニティ』(山本薫子 著、慶應義塾大学出版会)

 最近再開発問題を巡って活動することが増え、その中で「ジェントリフィケーション」(富裕化とも訳される。旧住民を追い出し、または追い出す結果を生む富裕層向きの町づくりをして、住民層と文化を入れ替える現象を指すことが多い)という言葉を知った。

 本書は、「ジェントリフィケーション」という造語の生みの親である、ルース・グラスの業績を紹介しながら、その語によってどのような現象が捉えられたか、また現代の具体例に当てはめてジェントリフィケーションという現象の何が問題かを明示しているが、この語が指し示す多岐にわたる論点の中で、ここでは、最も大事に思った一点だけを紹介する。

 グラスは1950年代にロンドンで社会調査ユニットのディレクターとなり、急激に変化する住民の居住・生活環境について調査・研究し、多分野の関係者からなる連続セミナーに参加した。その成果が『ロンドンー変化の諸相』(1964年)という共同執筆の論集であり、その中で「ジェントリフィケーション」という語が初めて使われた。

 1950年代のロンドンでは、特に西インド諸島(カリブ海地域)からの移民に対する排斥運動が起こり、1958年にはノッティンガムとノッティングヒルで、白人の若者が西インド諸島出身の移民を襲う騒擾が起きた。第2次大戦後、英国は植民地や英連邦の人々に英国市民権を与え、多くの移民が海を渡った。彼等は戦後の復興に寄与し、様々な労働力需要を補った。特にカリブ海地域の移民は、白人が郊外に移り住む現象が起きていたロンドンに多く移住し、劣悪な民間賃貸住宅に暮らしたが、高額な家賃を請求されたり、追い出しの対象になったりした。

 ロンドンで起きた二つの騒擾をルースは検証し、「人種問題(非白人問題)というのは実は『白人問題』であると看破した」。

 例えば58年の人種偏見に対する世論調査では、「偏見を持っているとみなされる者は全体のわずかに過ぎないとされた」が、グラスは「人数の規模は小さくても、偏見を持った少数派に多数派(相反する意見の間で揺れ、曖昧な態度をとりやすい人々)が影響を受けやすい、という指摘をした。今を見ても実に思い当たる重要な指摘だ。

 また、曖昧な態度をとりやすいことについて、「日常生活の中では差別的な言動を非難する人でも住宅での入居差別や公共空間での非白人の締め出しは必ずしも問題視しない」。これは例えば、非白人を締め出す店で、「ここに来ないで他で飲めばいいよ」、また自分たちの隣でなく、「ここでなく他に住めばよい」と発言するのは、ただの区別であるとみなすということである。ここには、こと自分に関しては、潜在的な偏見を意識化することなく、相手の問題とみなして済ますという心性が働いている。

 騒擾後も、「その後の社会には大して変化をもたらさなかった、とグラスは結論づけている」。多くの市民が騒擾を忘れてしまう一方で、「ファシズム運動団体など人種差別主義者らによる反移民のキャンペーンは行われ続け、そのことが移民たちに不安を与え続けている、とグラスは指摘した」。

 グラスはこのような社会の今後を予想し、「経済的な繁栄が広がるに従って社会的人種的分離はさらに強化され」、階層の低い人が高い人への怒りを社会的に自分より劣位にある人々にぶつけるようになるとみた。

 1962年に英国は移民法を制定、非白人の移民を制限する差別的な法律であり、その後も次々と移民制限を強化した。

 労働力として利用しながら、締め出す、それを市民が後押しする、現在の日本と重なる姿に暗澹となる。それを多くの曖昧な人々が差別と思うことなく支持しているのだ。 

 移民の排斥は一見ジェントリフィケーションとは関係がないようにみえるが、ナチから逃れてドイツからイギリスに移住したユダヤ人のグラスは差別を受ける側でもあり、ロンドンでは公的住宅の供給と地域コミュニティの形成を模索し、住まいと人びとの平等性を結び付けた。「ここから出て行け」と人に圧力をかけるのは、居場所を失わせる人権侵害である。グラスはジェントリフィケーションに差別的な本質を見ていたに違いない。