アリの一言

「皇位継承」をめぐる議論が山場を迎えようとしています。この議論の進め方の危険な特徴は、「立法府の総意」の名のもとに異論を許さず、新たな大政翼賛体制をつくろうとしていることですが(4月17日のブログ参照)、もう1つ、重大な特徴があります。
それは、「皇位継承」の前提である(象徴)天皇制の存続自体の是非がまったく議論の対象になっていないことです。12日に中道がまとめた「見解」でも、「安定的な皇位継承に向けた方策の議論は「必須」だと指摘」(12日付朝日新聞デジタル)しているように、与野党を問わず天皇制の「安定的な」継続が大前提になっています。
これはきわめて異常なことです。たとえば2020年に「BLACK LIVES MATTER」運動が各地に広がった際、タイやベルギーでは公然と反王室の主張・運動が展開されました。
現行法(皇室典範)に照らして皇位継承が困難になっている今、それでもあえて天皇制を継続させる必要があるのか、あるというならそれはなぜか、その原点に立ち返って議論するのは当然ではないでしょうか。
しかしそうした議論はまったく俎上に上っていません。国会の中だけではありません。メディア・学者・識者の論調も含め、日本中に縛りがかかっている状況です。なぜこうなっているのでしょうか。
戦前の天皇主権の大日本帝国憲法と違い、「主権在民」の憲法をもちながら、なぜ日本(日本人)は天皇制をタブーにしているのか―。
社会学者の吉見俊哉氏はかつてこう指摘しました。
<戦後憲法ができるころにはそういう(天皇制廃止)議論があった。でも、今はなくなってしまった。それはタブーだからとか、検閲があるからとかいうことよりは、この国では人々の想像力そのものが、もうそこまで及ばないのだろうという気がします。…積極的に「天皇」に何か幻想をいだいているというよりも…天皇制は存続させるのが「自然」だろうという感覚だと思います。「安心・安全」の天皇制ですね。…日本人には、天皇制のない日本というものが、もはや想像することすらできなくなっているのではないでしょうか。>(テッサ・モーリス-スズキ氏との共著『天皇とアメリカ』集英社新書2010年)
また、憲法学者の奥平康弘はこう喝破していました。
<「天皇制はなんとなく日本の伝統に即している気がするし、日本人は調和を重んじる民族なのだから、(天皇制は)残しておいたほうがいいのではないか」という、まさに「なんとなく」の天皇制肯定が当然の前提になってしまっている。…いわば「慣性としての天皇制」ともいうべきものが、日本には成立している。それは慣性が根拠になっているからこそ、思いのほか強力なんです。>(『未完の憲法』潮出版2014年)
「安心・安全の天皇制」「慣性としての天皇制」―そこに通底するものは、日本人の思考停止です。天皇制へ向けて議論を始めることは、思考停止からの脱却なしには不可能です。だからこそ、それは今の日本人にとって喫緊の課題なのです。


