
<堀切さとみ>
3月28日(土)昨年12月31日に亡くなった「加納一美(かのうひとみ)さんを偲ぶ会」が、ギャラリー古藤で行われました。あふれんばかりの人たちが集まり、加納さんやメトロコマースの闘いを称えました。
いつも笑顔だった加納さんの訃報に驚いたという声は多かった。一番身近なところにいたメトロコマースの後呂良子さんが、経過を語った。急性大動脈解離で倒れたが、息子さんが救急車を呼んで一命をとりとめた。すぐ手術したが80%諦めてくれと言われたこと。食事をとることもしゃべることもできなかったが、懸命のリハビリで、その後3年を生ききったこと。享年77歳だった。
献杯には、加納さんが好きだった日本酒が振舞われた。献杯の音頭をとったビデオプレスの松原明さんは、「葬儀に行き、加納さんの親族にお会いした。加納さんは『闘いが楽しかった、闘ってよかった』と語っていたそうです」

最初にビデオプレスが2013年に制作した『メトロレディーブルース』を上映(写真右)。非正規差別など、あまり知られていなかった頃、メトロの売店で同じ仕事をしている労働者に「正規」「非正規A」「非正規B」の格差があった。その非正規Bの四人が組合を立ち上げ、ストライキや団交を行なう。時給1000円、手取りは14万円だった。映像の中で「あなたにとって組合って何ですか?」と質問された加納さんは「勝利への道です」と笑顔で答えている。
参加した全員がマイクを手に話した。印象に残ったスピーチをいくつか。
メトロ裁判で加納さんの陳述を担当した今野久子弁護士。
「加納さんのファンは多かった。退職する日、常連客にプレゼントされたハンカチを、加納さんは『私の勲章だ』と言っていた。加納さんは10年の勤務の間に9ヵ所の異動があった。通勤時間に1時間半かかる時もあった。早番の日は朝5時に家を出て、遅番の時は0時過ぎの帰宅。10年間で遅刻はたった一回。東日本大震災の日で『来なくても良かった』と言われたそうだ。
責任感の強い加納さんの雇用継続は認められず、3月31日に最後の勤務を終える。翌日、制服を返しに行ったが、花束ひとつ、ねぎらいの言葉ひとつなかった。正規社員はホテルでパーティーをし、贈り物をもらったというのに。闘わなければ権利はかち取れない。そのことを加納さんは示した。大変なリハビリも本当に頑張ったんだと思う。ゆっくり休んでください」


メトロの闘いを最初に取材した毎日新聞の東海林智さん(写真左)。
「ストライキの記者会見の時、三人しか取材に来ていなかった。ビデオプレスの松原さんと松元ちえさん、そして自分。毎日新聞夕刊の一面トップに載せた。非正規が起って闘ってストやっても、誰も見向きもしない時代だった。加納さんに『しんどくないですか?』と聞いたら、『楽しい』という答え。闘う姿を見せ続けた10年だった」と泣きながら話した。
メトロの闘いに伴走したジャーナリスト、竹信三恵子さん。
「当時朝日新聞で労働担当だったのに、うるさい女だからという理由で取材に行かせてもらえなかった。それでも、派遣村やメトロの闘いなど、運動の盛り上がりによって非正規問題は主流になった。加納さんは一見普通の人、ニコニコしてるのにとんがってる。そんな日本の女性の底力を示す人だった。本当に励まされた。彼女の笑顔の遺影を前に、感謝の気持ちを伝えたい」

郵政やJALの労働者、弁護士、運動関係者に交じって、演劇仲間なども集まった。メトロは寸劇や歌など、今までにないユニークな活動で社会に訴えて、多くの人たちを虜にしてきたから。10年の闘いの歴史は、ビデオプレスの四つの映像作品で観ることが出来る。
かつて国労や全逓の大きな闘いがあった。それがなくなって日本の労働運動は衰退したといわれてきたが、メトロの闘いはたった四人の女性たちが多くの人を巻き込んだ、竜巻のような運動だったと思う。笑顔の中に芯をもつ加納一美さん。おつかれさまでした。次につながる出会いを作ってくれたことにも感謝して。
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