

3月11日、韓国で「福島を忘れるな、もうやめよう原発」と題した3.11集会が開かれました。そこで福島避難者の鵜沼久江さんのメッセージが紹介されました。以下、主催者で韓国在住の小原つなきさんのスピーチです。(情報提供=堀切さとみ)
<小原つなきさんのスピーチ>(写真中央)

こんにちは. 私は全羅道光州で脱核活動をしている小原つなきです。 昨年11月、私は久しぶりに福島に行ってきました。 15年の間に放射能で汚染された福島地域でも多くの変化がありました。 国家主導で推進された「復興」政策により、ほとんどの避難区域が解除されました。 「福島安全キャンペーン」を展開し、住民の帰還を促しました。 放射線量が下がった地域では、既存の建物を取り壊し、立派なインフラ施設が次々と建設されていました。 福島を先端技術開発の拠点都市にするための国家プロジェクトも進行中です。 他の地域から人々を呼び込むための政策も進行中です。 このような見せかけだけの福島の復興を見て、元々住民たちは大きな喪失感を感じているそうです。
本日のイベントのために、福島県双葉町の住民・鵜沼久江さんが私の知人を通じてメッセージを送ってくださいました。 鵜沼久江さんは原発から約1.7km離れた地点で、牛50頭を飼育しながら生活していました。 現在は避難生活を始めた場所で新たに農業をしながら生活しています。 しかし、福島を懐かしむ気持ちは変わらず強いそうです。 それでは、いただいたメッセージを拝読します。
<鵜沼久江さんのメッセージ「福島のことを記憶してください」>
原発事故からはや15年になりました。過ぎてみればあっと言う間にに過ぎたように思います。この15年の間に主人が亡くなり、私も急性心筋梗塞になり、なんと変化の多い年月だった事か。病気になった時につくづく感じた事はあの事故がなかったらこんなに苦しい思いをしなくても良かったのではないかと思えた事でした。知らない土地で生き直しはとても厳しいです。私が一番苦しいと思えるのは全て金の力で黙らさせられる事です。この言葉で私たちがどれほど悔しい思いをさせられたかわかりません。。。この言葉で私たちは全てを奪われたように思います。
まだ双葉町の85%は除染もされていません。双葉町に住んでいる方々の多くは仕事先が無くてやはり悶々とした日々を送っておられるようです。住宅の借り上げ制度も無くなりことに高齢者の生活の場所が無くなったようです。住宅を新たに借りるのにはとても苦労されています。双葉町に住んでいる時は自宅があって老後の心配等しなくても良かったのに避難後は毎日これからどうしたらよいかと悩まされる日々だそうです。あの日から15年私たち避難者は何時になっら心が安らかに安心した日々を送れるのでしょうか。原発が無くなりますように願います。
韓国の皆さん、私たち福島の人たちは、原発事故を経験してしまいました。皆さんの国ではまだ事故は起きていません。まだ間に合います。事故が起きてからでは遅いのです。どうぞ、福島のことを記憶してください。こんな苦労は私たち福島の人たちだけで十分です。共に核のない社会をつくりましょう!

