永田浩三(ジャーナリスト)

 去年のカンヌ国際映画祭で、19分間のスタンディング・オベーションという伝説をつくった。来月発表される米国アカデミー賞でも8部門がノミネートされる話題作。さすがさすがの面白さ。ぜひお薦めしたい。

 舞台は、北欧ノルウエーの首都・オスロの古い家。父・グスタフ(ステラン・スカルスガルド)は名のある映画監督。久しぶりにその家に戻ってくる。物語は父の身勝手な行動から動きだす。
 グスタフでとっては、二人の娘を育てた懐かしい家。しかし、グスタフは何が気に入らなかったのか、大切な家族を顧みず出て行ってしまった。その家で虫のいいことに、自身や家族の物語を撮ることはできないか。映画の主役を長女のノーラ(レナーテ・レインスベ)に演じてほしいとグスタフは申し出るのだった。
 ノーラはオスロの国立劇場の舞台女優。幕が上がる直前になると逃げ出し、劇団の仲間を困らせる繊細な魂の持ち主だ。そんな彼女にとって、かつて自分を捨てた父からの申し出は、あまりに残酷に思え断ることにした。父が代役に抜擢したのは、米国の人気女優レイチェル(エル・ファニング)。レイチェルもまた、人間の機微が深く理解できる俳優だった。
 映画監督の父と舞台女優の長女。互いによく似ていて認め合ってもいる。過去を赦し、わかりあいたいのに、それができない不器用なふたり。ヨアキム・トリアー監督は、そのもどかしさを優しく描く。
 映画の舞台となる家には、各階を貫く薪ストーブの煙突がある。階下の様子は見えないが、音だけは煙突を通じて聞くことができる。それはあたかもそれぞれの人間の心の部屋をこっそり開けるようなものだ。
 古い家には、家族の歴史が澱のようにこびりついている。グスタフ監督の母は、第二次大戦中ナチスに抵抗するレジスタンス運動に加わった。しかし、激しい拷問で心を病み、グスタフが少年の頃、自ら命を絶った。グスタフ自身も親への複雑な思いを抱えて生きてきたのだ。過去と現在が交錯し、それぞれの出来事が伏線と結果として織りなされる。

 もつれにもつれた家族の糸。それを解きほぐしてくれるのは、レイチェルであり、ノーラの妹・アグネス(インガ・イブスドッテル・リッレオース)である。最初は三人の女性を識別するのに四苦八苦したが、途中からそんな苦労はなくなる。
 家族の葛藤を重厚に描く北欧の監督といえば、スウェーデンのベルイマンを連想するが、ノルウエーのトリアー監督はもう少しポップで、ユーモラスなところがある。

 ところで映画の題の「センチメンタル・バリュー」ってなんだろう。父グスタフの妻、つまり二人の娘たちの母の遺品を整理しているとき、この言葉が出てくる。未練を残さず捨てようという姉・ノーラ。しかし妹・アグネスは大事なものばかりだと言い張る。精神的な価値、大事なものってひとりひとり違う。この映画は、未練がましいことって素敵なことだよと、優しく励ましてくれている気がしてならない。

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『センチメンタル・バリュー』 ヨアキム・トリアー監督 配給:ギャガ 
2025年製作/133分/ノルウェー・フランス・デンマーク・ドイツ合作
公式サイト⇒https://gaga.ne.jp/sentvalue_NOROSHI/