NEW!2026-01-26 03:00:00テーマ:天皇制と日本の政治・社会・文化

 

 総選挙後に高市・自民が日本維新、参政党などとともに間違いなく強行してくるのが「スパイ防止法」の制定です。「現代の治安維持法」といわれる思想・政治弾圧法は絶対に阻止しなければなりません。

 そのためにも「治安維持法廃止」(1945年10月15日)の知られざる歴史を振り返り教訓にすることが必要です。それは、治安維持法廃止は日本人が自主的に行ったものではないということです。

 このことを強く指摘し警鐘を鳴らしていたのが憲法学者の奥平康弘氏(1929-2015、写真右)です。『治安維持法小史』(岩波現代文庫2006年)から抜粋します。

<敗戦処理につき支配層の意向をうけて登場した東久邇内閣の最大の使命は、あらゆる革命的勢力の台頭を押さえて、国内の治安維持をはかることであった。かれらには、治安維持法の廃止や特高警察組織の解体のごときは、まったく念頭にのぼらなかった。>

<東久邇内閣だけを嗤うのは公平でない。…大日本弁護士会は「人権の徹底保護」を建議しているものの…治安維持法その他の人権侵害法については修正も廃止も、およそ言及するところがないのである。>

<日本の国内政治勢力のいかなる部分からも、自主的に治安維持法体制の解体を要求することができなかった>

<(1945年)10月4日発せられたマッカーサー最高司令官の覚書「政治的、市民的及宗教的自由の制限除去」は、まさに青天の霹靂であった。…廃止または停止を示唆される法規について…治安維持法、思想犯保護観察法が、国防保安法や宗教団体法関係法令とともに掲示された。>

<司令部の覚書が出されて以降、ようやくにして新聞紙上には…治安維持法や特高警察の非情な爪跡や犠牲のありさまが伝えられるようになった。日本国民が新聞紙上で治安維持法の実態を、客観的に、または批判的に報ずるのをみたのは、治安維持法の全歴史をつうじて、これが最初のことであった。>

戦後の日本社会は、自らの手で治安維持法体制を解体したわけでなく、また、自らの手で人権侵害責任者の裁きをおこなったわけでもない。その意味では、戦後の日本社会は治安維持法体制なるものを、そんなにつよく断罪するつもりはなく、むしろ、歴史の必然として受容する気配さえあるのではないかとおもわれる。>

<日本の支配層の多くは…ときとしだいによっては、治安維持法現代版を施行すべきだと考えているにちがいない。>(初出は1977年)

 治安維持法は日本(政治、民間法曹、メディア、そして市民)が自分の手で廃止したものではない。むしろ「受容する気配」さえあった。――それは、侵略戦争・植民地支配の最大の責任者・天皇裕仁を日本人は自らの手で断罪しなかった、むしろ引き続き天皇制を受容した、その歴史と通底しているのではないでしょうか。

 だから支配層は「治安維持法現代版」の制定を考えているに違いない、という奥平氏の49年前の洞察・予言がまさに今、現実のものになろうとしています。

 この治安維持法廃止の歴史を反面教師とするなら、「治安維持法現代版」の「スパイ防止法」はなんとしても市民の手で阻止しなければなりません。