東大本郷キャンパス・悪人銅像めぐり

根岸恵子(報告)
6月1日日曜日。天気予報は雨でしたが、日頃行いの良いレイバーネットは天候に恵まれ、雨が降ることもなく、東大の悪人銅像を回ることができた。
参加者は17人。ガイドには詳しく説明してくださったAさん。 東大は明治期以降、人類学の研究と称し、アイヌの遺骨を盗掘してきた。葬式があると埋葬したての墓からも、人体を発掘し、研究対象として扱った。特にその中心だったのが人類学者で解剖学者の小金井良精。東大には約200体のアイヌ遺骨が保管されてきた。 当日は日曜日で館内に入れなかったので、小金井の銅像は見られなかったが、そのほか悪人がらみの銅像を巡った。

1,濱尾新(はまお あらた 1848~1925)
東京帝国大学第3・8代総長だった。加藤弘之(第2代総長・政治学者)と共に大学に講座制を取り入れ、大学の権威主義を確立させた。濱尾は直接アイヌとかかわりはないようだが、加藤が日本に広めた社会進化論は、優勝劣敗の原則をあげアイヌを「滅びゆく民族」とするような思想に影響を与えた。濱尾の銅像は大変大きく、高場からみんなを見下ろす感じで設置されている。戦時中民衆は金属を供出させられたが、この銅像はそれを免れた。
2,エドワード・ダイヴァース (1837~1912)工学部
お雇い外国人として来日。科学者。次亜硝酸塩を発見。アイヌや植民地主義との関係は不明。
3,青山胤通(あおやま たねみち 1859~1912)医学部
イギリス領香港で感染症がペストであることを北里柴三郎とともに明らかにした。ウィルヒョー(アイヌ人骨を盗んだドイツの研究者)小金井、陸軍軍医だった森鴎外と親交があった。
4,佐藤三吉(さとう さんきち 1857~1943)医学部
スクリバの助手。小金井・青山らとともに北海道帝国大学医学部を創設。その土地はかつてのアイヌコタンであり、骨を盗むことが容易にできた。佐藤とのかかわりのある金森虎男(アイヌの生体計測をした歯科医)は関場不二彦(札幌の外科医)から受け取った9体のアイヌ人骨を小金井に渡し、オーストラリアに移ったうちの4体は現在ウポポイ(国立の慰霊施設)に収容されている。オーストラリアとはアボリジニの骨と交換した。関場は『アイヌ医事談』を著し、梅毒はアイヌ特有の病気などと真実ではないことを書いたうえ、アイヌのプライバシーを侵害したとして訴えられた。

5,ユリウス・スクリバ(1848~1905)医学部
ドイツからのお雇い外国人。日本の医学教育を推進した。北海道のさまざまな地域に足を運び、盗掘に直接かかわった可能性が高い。自称アイヌ学者。図外国の人種差を調査していた。関場や小金井に影響を与える。
6,エルヴィン・ベルツ(1849~1913)医学部
ドイツからのお雇い外国人。日本の医学の発展に寄与した。温泉治療を調査、世界に広める。小金井の師匠だったベルツは日本人人骨を調査、樺太アイヌの調査に北海道の対雁に赴く。
7,隈川宗雄(くまがわ むねお 1858~1918)医学部 東京帝国大学生化学教室の創設者。青山の後任。医科大学長になるも、翌年亡くなる。小金井の日記に当時のことが書かれている。アイヌや植民地主義との関係は不明。
他にも怪しい人物の銅像があるようだが、これからの調査を待ちたい。レイバーネットフィールドワーククラブでは、アイヌの人骨がそれぞれのコタンに帰れるよう、問題意識を持ち続け、引き続きこの問題に取り組んでいきたい。日本の学者は当時日本人がいかに優れているかという学問、優生学を推し進めるために、アイヌや琉球の人骨を盗掘していた。研究の成果はいったい誰が知るのだろう。