<評者:大場ひろみ> 
毎木曜掲載・第437回(2026.5.28)

『族長の秋』(ガブリエル・ガルシア=マルケス 著、鼓直 訳、新潮文庫)

 今までここで紹介するのはなるたけ新しく出版されたものにしようと心がけてきたが、昨今はびこるトランプ、ネタニヤフ、プーチン、習近平、高市早苗などの面構えを見るにつけ、ガルシア=マルケスのこの小説に刻み付けられた独裁者の肖像が、どの顔にも当てはまることをあらためて得心し、彼等の所業に苦々しさをかみしめている方々に是非読んでいただきたいと思った。この小説は生ものである。

 主人公である独裁者は「大統領」「閣下」と呼ばれているが、固有名詞はついていない。読者が思い浮かべる人物がそれぞれの固有名詞になるだろう。

 この人物は英国の後ろ盾を受けて軍事クーデターを成功させ、大統領として君臨する。何度も死んでは蘇り、独裁の時間はいつ終わるとも知れない。勿論ラテン・アメリカの現代史がモチーフではあるが、私は映画『KCIA』『ソウルの春』を続けて見て、民主化への渇望虚しく、主役が交代しては執拗に続く独裁政治の下で苦しんだ、韓国民衆の長い長い時間が『族長の秋』に重なった。

 この大統領の醜悪で残酷な所業の数々はここでは列挙しない。読むのが一番だ。とてつもなく大袈裟な寓話のようにも見えるが、解説の池澤夏樹は、ガルシア=マルケス自身が挙げた実在の恐るべき大統領らを列挙している。「ラテン・アメリカではそれがそのままリアルなのだ」。

 寓話どころか、現在進行形で世界中の人々の叫びが聞こえてくるじゃないかと憤る方も多いだろう。ガザに対するネタニヤフの所業を見るだけで明らかだと。

 しかし、タイトルは『族長の秋』である。いつかは終わる、終わるのだ。

 小説の独裁者は凋落して国から放り出された独裁者を集めて、岬の家で飼っている。大統領府には牛たちが糞を垂れ流してのさばっている。寝る前には何度も何度も自分で邸じゅうを見回り、挙句の果てに「寝室のドアを三個の掛け金、三個の錠前、三個の差し金で締めきった」後、冷たい床にうつ伏せになり眠るが、眠りは浅い。ネタニヤフも夢を、怖くで見られないだろう。「閣下」は、いつかは終わることが分かっているので、彼の不正を知っている二千人の子供を爆死させても、最側近の将軍を丸焼きのステーキにしても、安穏な眠りを手に入れることは出来ない。ガルシア=マルケスは、長い独裁の時間を、死なせないことで独裁者を生殺しにする断罪の時間に反転させてもいる。

 「閣下」はテレビに自分自身が映って話をしているのを見る。暗殺者が現れて彼の邪魔な者を先回りしてどんどん殺戮し、その首を毎日毎日届けてくれるのにうんざりする。何もかもが彼をおいてけぼりにしていつの間にか廻っていく。「閣下、安心してお休みください、世界は閣下のものですよ」とささやきながら。独裁とは、独裁者を取り巻く欲深どもが作り上げる都合のいい状況でもあるのだろう。トランプを囲んだメディアと資本家がお祭り騒ぎを繰り広げているように。

 アメリカはかねて外債の利子と引き換えに、カリブ海を要求していたが、「閣下」はのらりくらりと交わしていた。しかし利子は膨らみ、とうとう切り取って持っていってしまい、「アリゾナの血の曙光のなかに撒布した」。アメリカは好きな時にやって来て好きなものを持って行く。この間もベネズエラから大統領と石油を持って行ってしまった。

 しかしいつかは終わる、終わるのだ。死神が「閣下」を連れに現れる。しかしその時まで、「彼は、その充足がかえってこの世の終わりまで続く欲望じたいを産みだす悪徳、それが権力だということを知らなかったのだ」。彼は代わりに「虚偽は疑惑よりも快適であり、愛よりも有用であり、真実よりも永遠のものであることを知ったのだ」。

 彼を唯一愛した母親は、水彩で色を塗ったにせの小鳥売りで、実体は娼婦だった。母のにせの小鳥は作り上げられた「閣下」だった。にせの小鳥は母の手の上から飛び立つことなく、怯えながら小さいまま死んだ。しかし誰も彼を愛さないだろう。「サナ活」など、ただの祭りだ。誰も彼女を愛さないし、すぐに忘れる。