アリの一言


フォトジャーナリストの安田菜津紀氏が沖縄タイムス(15日付)の常設コラム(「心のお陽さま」第51回)で、<「いい顔」の懐柔に抗う 記者の差別迎合は危険>と題してこう書いている。
<自分にとって有益と見なした場面では「いい人」として振る舞いながら、外国人や性的少数者などマイノリティを差別する政治家を私たちは見てきている。だからメディアがその「いい人」の顔に懐柔されてはならないだろう。
東京新聞の望月衣塑子記者が日本保守党の百田尚樹代表と対談し、百田氏の「質問力と包摂力」を称賛していたことを受け、そんなことを考えている。(中略)メディアが本来担うべき公益性とは何か、その軸足を常に確認したい。>
記者は政治家の「いい顔」に迎合してはならない、という警鐘だ。
たいへん重要な指摘だ。その記憶が残っている中、日本共産党・不破哲三氏の葬儀(25日、写真=しんぶん赤旗電子版より)での志位和夫氏(同党議長)の弔辞を読み、唖然とした。
志位氏は「不破さんの国会論戦に対する姿勢にかかわって、私たちが深く学んだこと」としてこう述べた。
<国会での論戦で火花を散らした相手に対して、政治的な立場の違いはあっても、とても温かい回想を私たちに語っていたということです。 「質問していて一番面白かったのは、田中角栄氏だった」
意外に思われるかもしれませんが、不破さんからよく聞かされたことです。…この(田中角栄の)仕事ぶりに敬意を持ったことを、不破さんが繰り返し語ったことは忘れられません。
論争相手に対する温かいまなざしでの回想は、他の政治家にかかわっても聞くことができました。(中略)
政治的立場を異にしても、人間として相手を尊重する。不破さんが貫いたこの姿勢は、おそらくは相手にも伝わり、日本共産党の値打ちを高めたのではないでしょうか。そして、いまの日本の政治の現状を見るときに、こうした姿勢に立って政治にのぞむことは、国民の政治への信頼を回復するうえでも、いよいよ大切になっているのではないかと、私は思います。>(26日付しんぶん赤旗電子版)
そういえば不破氏は、あの中曽根康弘元首相の死去に際し、「なかなか礼節のある人だった」(2019年11月29日夜のNHKニュース)とコメントした。「しんぶん赤旗」紙上でも「率直な討論のできる政治家だった」(19年11月30日付)と賛辞を送った(19年12月2日のブログ参照)。
「政治的立場を異にしても、人間として相手を尊重する」。一般論としては正しいかもしれないが、日本共産党のトップが自民党の首相(経験者)に対してとるべき態度だろうか。まして、それを何度も口にする、さらには葬儀の弔辞で「深く学んだこと」として紹介する。それは妥当なのか。そこに政党(野党)が「本来担うべき公益性」という視点はあるのか。
田中角栄や中曽根康弘などに対して不破氏が行ったように、「政治的立場を異にしても人間として尊重する」ことが「国民の政治への信頼を回復するうえでも、いよいよ大切になっている」に至っては何をかいわんや。
現在の政治不信は、共産党を含め、すべての政党(野党)が自民党政治と正面からたたかわないことから引き起こされている。むしろ「政治的立場」もおかまえなしに田中角栄や中曽根康弘を賛美することこそ「政治への信頼」を失墜させているのではないのか。角栄は金権政治の権化であり、日本をアメリカの「不沈空母」にすると言ったのが中曽根康弘なのだ。
志位氏のこの「私たちが深く学んだこと」に、現在の日本共産党凋落の根源を見る思いがする。


