<評者:大場ひろみ> 
 毎木曜掲載・第428回(2026.3.26)

和田靜香『中高年シングル女性』 岩波新書、2025年

 先日、「家賃高すぎ。何とかしろ!」デモに参加した際、サウンドカー上で行政の無策を指摘しながら、ひたすら情熱的に叫びを上げていたのがこの本の著者、和田靜香さんだった。プロフィールを見たら、1965年生まれで64年の私と一つ違い。私は現在配偶者がいるが、それまで非正規シングル子無しだったので彼女と同じ境遇だった。この世代、社会の新自由主義化に伴って、真っ先に非正規低賃金の層を形成してしまったが、バブルの好景気に踊って、その後不況に陥っても、私にさしたる自覚はなかった。その後の「氷河期世代」なんて言葉も知らず(世代の分断)、風呂屋に行く金も惜しんで流しで体を洗ってたりしたのに、貧困だとは思わず(自助による克服)、派遣労働者として仕事場で正社員の倍働いても、出来るからおかしいとはさして思わず(やりがい搾取)。要は、自己責任論を受け入れる先行者でもあったのだろう。

 問題は生活に破綻が生じたときに初めて自覚される。病気、事故、職場でのハラスメント、差別、子供を抱えて離婚、夫のDV、親の介護、雇い止め…。これらの問題が重くのしかかってくるのが、とりわけ社会に受け皿のない立場に置かれた「中高年シングル女性」だ。

 この本に描かれる当事者の女性は、それぞれ違う状況、背景で苦難を抱えているが、主に共通するのは、社会制度の不整備と、孤立、自己評価の低さだ。

 正社員として夫が働き、専業主婦がいて、家事子育てを担う。このモデルで制度設計した法や行政システムは、現在まったく実情に当てはまらずもはや機能しないし、有害である。この制度は高度成長期に安定した中間層を生み出したとされるが、そもそも家庭に押し込められ、夫の下に置かれる女性の存在が前提だ。その上、低成長期に入ると女性は家計補助としてパートに駆り出されるが、家事子育てを一身に背負ったうえで労働強化されていく。そもそも正社員であっても問答無用に女性の賃金は男性より低い。シングルであればこの差が大きくのしかかり、生涯に得る賃金格差が老後を厳しくする。時代に合わない制度設計のせいで、暗黙のうちの差別(例えば何故賃金が低いのか)のせいで、もろもろのせいで、中高年シングル女性は社会から透明な存在として見捨てられているというのが、この本の大事な指摘だ。(写真=和田靜香さん)

 そこから著者は、どうしたらいいのかという問いを立てる。
「問題はお金だ」の章では、女性の立場の脆弱性にはやはりお金の問題があるという認識と共に、その解決のためのつながりを求めて体験を聞く。「そもそもどうやってきたのか?」の章では、大事な“死に方”について考える。緩和ケアクリニックを運営する伊藤真美さんの言葉が印象的だ。「その人が生きてきた延長上でこの世を去れるようサポートするのが、ここでやる緩和ケアです」。そこで著者は「生きることにあきらめないように、死ぬことにもあきらめないでいよう」と頷く。

「生きていかないとならないから」の章では、区議会議員に立候補したり、会社に異議申し立てして現状を変えていこうとする女性たちを取り上げ、「決して特別に強い人じゃない」人が、労働組合などの力を借りて声を上げる姿に、著者は「つながる」力を実感する。

 しかし、本書に登場する女性たちは、誠実さゆえに、うまくいかないことを「自分のせい」にしてしまう傾向があるのも読みながら感じた。例えばDVに対して強く抵抗できないのは、「自分が悪い」からと相手の暴力に支配されてしまう。これは自分にも経験があるので、うまく説明できないがその心理はわかる。仕事の上でも理不尽さに対してぎりぎりまで我慢する傾向がある。それもこれも、女性に対し地位の低さを当たり前として押し付けてきた男性優位の社会構造のせいだが、それを内面化した女性が、自己評価の低さを克服するのは意外とハードルが高い。

 それを著者は「中高年シングル女性は『自分でひとりを選んだのだから自己責任』と負い目を背負わされがち」だが、「さいごに」で、「つまるところは尊厳」なのだと高らかに宣言する。「中高年シングル女性が日常を暮らす、その『小さな幸せ』を支える『尊厳』は決して冒されることはあってはならない」。それを支えるのが憲法なのだと。なぜか自分の尊厳をあまり大事にしていない自分がいるので、憲法・尊厳と歩いたり、転んだりしたい。