●第110回 2026年3月12日(毎月10日)

 今年は年初から2回続けて、米軍の対ベネズエラ軍事作戦に触れた。作戦そのものの詳細を私は知る由もないので、より重要だと思われる米国と関連する各国の歴史的な関係の、依って来る由縁を問う形の内容とした。それから2か月足らずの2月末日、ドナルド・トランプが今度はイスラエル軍との共同作戦で、イランに先制攻撃を仕掛けた。昨年度のノーベル平和賞を欲しがっていたのに夢破れたトランプは、「8つ以上の戦争を止めた私に対し、あなたの国はノーベル平和賞を与えないことを決めた。もはや純粋に平和について考える義務があるとは感じない」と、ベネズエラ攻撃から2週間後にノルウェー首相に宛ててメールしたそうだ。我儘放題で育った手の打ちようもない駄々っ子が、精神的な成長を遂げないまま大人になるのは、ひとりで生きているなら、自由だ。だが、事もあろうに、こんな人物を2度までも大統領に選んだ米国有権者のせいで、2025~2026年の現在、世界は混乱の極みに至っている。イラン攻撃にまで至った事態の真相はさまざまな形で明かされつつあるが、今後の展開は誰にもわからない。「時事」を追うことは大事だが、虚言の塊のようなトランプのひと言・ひと言を批判的に分析しても、虚しい。こんな思いは、小泉純一郎と安倍晋三の政権期に、その、論理なき/倫理なき/歴史知識なき/まこと(真も誠も)なき/言動の批判的な分析を逐一行なっていた時以来のことだ。

 こういう時には、あえて、「時事」から離れて、溜息つくこと多い人類史の歩みの中から、何か前向きな物事に触れたい。もちろん、それを、米国ペンシルベニア州フィラデルフィアにある大統領公邸跡地から、奴隷制度の歴史的経緯を伝える展示物を一方的に撤去した国立公園局の措置に対して(言うまでもないが、それは大統領令の下で行なわれた)、フィラデルフィア市が提訴し(26年1月22日)、連邦地裁が展示物の復元命令を出したのだが(2月16日)、このような粘り強い抗議・抵抗の動きに求めることも大事だ。野党民主党の連邦議会下院議員が、中南米を米国の勢力圏と見做すトランプ風のモンロー教義を捨て去り、「相互尊重と共有の繁栄に基づく外交政策を追求する必要がある」とする法案を提出した(2月10日)ことにも、注目しておきたい。米国内での少数派の理論・実践活動は、同じく「少数派」である日本の私たちにも示唆するところが多いだろうから。多勢に無勢でも、やらねばならぬこと/やったほうがいいことは、ある。

 さて、今日取り上げたいのは、トランプは、上に見たように、「米国民を不当に貶める反米イデオロギー的なものだ」として奴隷制に関わる展示物の撤去を命じたのだが、その奴隷制の問題だ。「大西洋間奴隷貿易の賠償」「英連邦 交渉前進に期待」という2つの見出しがついた26年2月1日付け「しんぶん赤旗」の記事に示唆されてのことである。米国は今から250年前にイギリスから独立した(1776~2026年)。他所からの入植者が、あたかもその土地のもともとの人間であるかのように「独立」を主張し、成し遂げた典型的な入植者植民地主義が孕む問題は、ここでは論じない。イギリス植民地から独立した米国は、19世紀前半と世紀末のいくつもの侵略に基づく対外膨張主義を実現して、20世紀の超大国となる基盤を築いた(その過程については、前々回及び前回の当コラムで簡潔に触れた)。他方、大英帝国はやがて次第に縮小・衰退の道を辿って現在に至る。それでも、旧植民地諸国を束ねる英連邦は、いまなお56か国を抱えており、総人口は27億人だ。国としては、世界中の国家の4分の1以上、人口で見ても地球上の総人口の3分の1を占める。議長は英国王チャールズが務めている。

 その英連邦の事務局長、シェリー・ボチュウェイ(かの女は元ガーナ外相だ)がロイター通信とのインタビューで、大西洋間奴隷貿易の賠償交渉の開始に向けて加盟国が前進することを期待すると述べたというのが、先に触れた記事の趣旨だ。今年度の英連邦首脳会議が、今年11月に、カリブ海のアンティグア・バーブーダの首都、セント・ジョンズで開催されるので、その会議で何が主題になるかを事務局長は説明しているのだろう。英国政府は、他の旧宗主国と同様に、奴隷貿易の罪は認めつつも、賠償要求には応じていない。事務局長はそれを念頭に、「当事国が交渉の席に座って、さまざまな形の賠償、今後の対処方法について話し合うことを求める動きがあるというのが私の理解だ」と述べている。

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 ここに至る前史を、いくつか記しておこう。最近の出来事から、順に過去に遡っていく。
2025年1月  英国の海運関連企業ロイドレジスターは、18~19世紀の大西洋間奴隷貿易への関与を認め、謝罪。英国公文書館の奴隷制関連文書プロジェクトへの寄付、カリブ海や西アフリカ諸国での奨学金支援、リバプールの国際奴隷制博物館への支援を約束。
2024年10月 英連邦首脳会議(サモアで開催)で全参加国が署名し採択した「サモア宣言は、「奴隷制と奴隷貿易は人道に対する罪である」と明記した2001年の「ダーバン宣言」の重要性を確認し、奴隷貿易の被害国への補償について協議を始めることを決めた。出席したチャールズ英国王は、過去の英国が犯した「痛ましい過ち」に「最大の悲しみと後悔」を表明したが、謝罪はしなかった。 
2024年8月 国連人種差別撤廃委員会、英国内で急増している人種差別的なヘイトスピーチや排外主義的言説は、英国が過去に行なった植民地支配や奴隷制への関与を政府が誤りと認めていないことも要因であり、「関係国への公式な謝罪と賠償を検討すべきだ」と勧告した。
2024年4月 国連のターク人権高等弁務官は、過去の奴隷制・奴隷貿易に関して、アフリカに祖先をもつ人びとに対する賠償へ具体的な措置を取るよう、関係各国に呼びかけた。
2024年3月 国連総会で「奴隷および大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国際デー」記念式典開催。グティエレス事務局長は「排除と差別の世代を乗り越えるために、我々は賠償のための枠組みを要求する」と表明した。
2024年2月 17世紀に奴隷売買で巨万の富を築いた奴隷貿易商エドワード・コルストンの立像(南西部ブリストルにあった)は、2020年6月の大規模な反黒人差別デモで引き倒され、港に投げ込まれたが、「立像の背景や象徴するものを多様な観衆と適切に共有する」ために博物館で展示することになった。 

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 この年表は、本来ならば、21世紀の始まりまで遡って記すことが可能だ。本コラムでも、その経緯については、何度も触れてきた。決定的な契機は、先にも触れた2001年の「人種差別に反対する世界会議(ダーバン会議)」である。ここで、奴隷制・奴隷貿易・植民地支配など「人類史のすさまじい悲劇」に、人類がどう向き合うべきかが討議された。それ以降、4半世紀の年月を費やして、議論はここまで具体化しつつある。奴隷貿易や植民地支配をめぐって「補償的(修復的)正義」はいかに果たされるべきかの対話が、世界的な規模で――すなわち被害国・地域と加害国との間で――始まっているのである。

 私たちが生きているこの21世紀は、「戦争と革命の世紀」という表現が一定の現実感を持っていた20世紀とも異なり、「革命なき戦争の世紀」となった。20年続いた米国主導の対テロ戦争(2001~2021年)、4年を経たロシアのウクライナ侵略戦争(2022~26年)、2年半を経過しているイスラエルのガザ・ジェノサイド(2023~26年)、そして今年26年が明けて以降の米国のベネズエラ攻撃と米国・イスラエル共同のイラン攻撃――つまり、21世紀に入ってからの25年間、世界の何処かで絶え間なく戦争が続いている。死者累々。人間の愚かさが身に染みる現実である。

 他方、これと同じ時間帯の中で、上に見てきた「人権確立」のための動きが平行して進められてきている。そのことを、そのことの意義を、改めて心に刻み、私たちのこれからの言葉と行動の指針にしたい。

【追記:大西洋間奴隷貿易については、以下のようなサイトができている。いずれも、過去の事実を明かすために、適宜新事実を更新しながら国境を越えてなされている協働事業である。使用言語は英語】
About - Slave Voyages https://www.slavevoyages.org/
Slave Voyages - Legacy Library https://library.legacydesignsstudio.com/slave-voyages/
Slave Voyages | World History Commons https://worldhistorycommons.org/slave-voyages
Trans-Atlantic Slave Trade Database | The Hutchins Center for African & African American Research https://hutchinscenter.fas.harvard.edu/trans-atlantic-slave-trade-database
Anti-Slavery International | Fighting for Freedom from Slavery https://www.antislavery.org/