
18日、第2次高市早苗政権が発足しました。組閣後の記者会見で高市氏はあらためて「積極財政」を強調しました。高市氏はなぜ「積極財政」を前面に掲げるのか、それがどうして「国論を二分する」問題なのか。
その意味を考えるうえで参考になったのが、「世界」(3月号)に掲載された井手英策・慶応大教授(財政学)の論稿「積極財政 ポピュリズムの結集点」です。要点を抜粋します(太字は私)。
<ポピュリズムの核心は、職業・階級・階層的なちがいを乗りこえて「人民」を再構築することにある。財政が起点となって政治のポピュリズム化がすすんだ。他の先進国ではめったにみられない異常事態である。日本の政治は「政策における全体主義化」をまねいてしまったのである。
(世界で)中間層の生活不安は、国民国家の再生への要求を呼びさました。外国人を断罪する声が急速に広がり、極右政党が台頭し、自国優先主義も公然と語られた。日本における積極財政、政治のポピュリズム化もこうした国際潮流の一端を構成している。
歴史をみてみよう。世界恐慌期(1929年)にはアメリカだけでなくドイツ、日本などでもポピュリズムと積極財政が広がりをみせていた。
ファシズム前夜のドイツでは、減税と公共事業で国民の歓心をかおうとした。この財政システムをフル稼働させ、国民の支持を獲得したのが、アドルフ・ヒトラーであり、圧倒的な支持を手にした彼は、議会と憲法を機能停止し、軍事費の急増をゆるし、あげくユダヤ人を虐殺した。
日本でも公共事業を名目に日銀資金が動員されたが、同時に軍部にも資金融通の道がひらかれた。この資金調達があったからこそ、政府はスムーズに日中戦争へと移行できたし、戦争の勃発が、計画経済、言論統制、そして政党の自主解散へと私たちをみちびいた。
警察であれ、自衛隊であれ、国家は暴力を独占している。このことを決して忘れるべきではない。為政者は私たちの代理人である。だが、財政の決定権、資金面での裁量をあたえてしまえば、彼らは暴力とカネを独占し、代理人であることをやめてしまうかもしれない。戦前日本の政治家がそうであったように。
私たちが鈍感になり、借金が制約要因でなくなれば、何が必要で、何が不要かを論じる努力、民主的に財政を統制する意識は弱まる。いまの日本はまさにこの状況にある。いったんたがが外れてしまえば、国際環境の変化を理由に財政は暴力発動の道具に簡単にかわる。台湾有事がおきれば、即座に財政は軍事化しうるし、その制度的、政治的な土台は確実に整いつつある。
現代のポピュリストたちがうったえるのは「反既得権」「反グローバリゼーション」「反緊縮」の三反主義であるが、それは、ファシズム前夜の日本における「反財閥・反既成政党」「日満支経済ブロック」「空前の積極財政」と相似をなしている。>(「世界」3月号)
国債発行は年40兆円超(2025年度)にものぼり、国の「借金」はすでに「制約要因」でなくなっています。「何が必要で、何が不要かを論じる努力、民主的に財政を統制する意識の弱まり」は、突出して膨張する軍事費が議論もなく容認されていることに端的に表れています。日本の政治家は「(主権者の)代理人であることをやめてしまうかもしれない」のではなく、すでにやめてしまっています。
「政治のポピュリズム化」「政策における全体主義化」の典型的な表れが「積極財政」であり、それは日本が「ファシズム前夜」であることを示している標語だと言えるでしょう。
そして、ナチス・ヒトラーが得た「国民の圧倒的な支持」をほうふつとさせる今回の「総選挙圧勝」で、ファシズムへの道を猛進しようとしているのが高市首相。「積極財政」はその旗印にほかなりません。

