17日は阪神・淡路大震災から31年でした。この震災は日本の防災体制の不備などさまざまな問題の画期となりましたが、その1つに、災害ボランティア活動の本格化(「ボランティア元年」)」があります。

 その先鞭をつけた1 人が、作家の小田実(おだ・まこと、1932-2007)でした。

 小田は作家活動とともに、「べ平連」(「ベトナムに平和を!市民連合」)や「憲法九条の会」などに心血を注いだ社会運動家としても知られています。昨年末、パートナーの玄順恵(ヒョン・スンヒェ)さんが<「人間の国」を求めて 作家・小田実の思想と行動>と題した論稿を「世界」1月号に寄稿しました。

<戦後、経済的大国を形成しましたが、「人間の国」になれなかった日本社会。戦後日本の平和主義は、戦争はしてはならないという戦後日本の常識にささえられた「体現平和主義」でしたが、それを豊かな厚みのある「原理平和主義」として育ててこなかった。ただの平和愛好家となってしまったのではないか、と小田は言います。>

 日本(人)の「平和主義」に足りないものは何か。それを小田実が端的に、そして力強く主張しているのが「世直し大観」という論稿です(鶴見俊輔との共著『オリジンから考える』岩波書店2011年所収)。エキスを抜粋します。

<デモクラシーは、ギリシャ語でデモス・クラトスです。デモスとは民衆、クラトスは力、民衆の力です。

 その民衆の力の政治を達成するために選挙があります。デモ行進することも、集会をすることもストライキをすることも、みんな民衆の力なんです。大きな意味でデモクラシーという言葉をとらえておかないと、すぐ選挙の話だけ、議会制民主主義の話だけになってしまう。ことに日本ではその傾向が強いですね。しかし、選挙も一つの手だてにすぎない

 私が長年考えてきて、いろいろなことをやってみて、ひとつの結論はこうです。「大きな人間」という存在が、大きな力を行使して政治や経済、文化の中心をかたちづくる。それに対して「小さな人間」が何をするか

 「大きな人間」が必ずしもいいものをつくりだすとは限らない。めちゃくちゃをするということが必ず起こってくる。それに対して「小さな人間」が、デモス・クラトス、自分たちの力を信じて、反対する、抗議する、あるいはやり直しさせる、是正する、あるいは変更する、変革する。それが「小さな人間」のやることです。私はこれがデモクラシーだと思うんです。デモス・クラトスが「大きな人間」の過ちを是正する

 「世直し」ということばをあえて使うなら、世の中は、絶えず世直しをしていく必要があると思うのです。でないと「大きな人間」がはびこって力のままにむちゃくちゃをするのです。

 世直しにとって最大の問題は、戦争に反対することが必要であることです。「大きな人間」は戦争を引き起こす力を持っているけれども、「小さな人間」はそのような力を持っていない。しかし、「大きな人間」は、「小さな人間」が一緒に動かない限り戦争はできない。ひとりでは戦えない。「小さな人間」は、戦争を阻止する力を、やめさせる力を持っていると思うのです。「正義の戦争」といったものをふりまわすのではなく、戦争に反対することが基本にあって、「小さな人間」のあり方がある。それが世直しの基本だと思うんです。反戦から出発して、全体の世直しということを考えるところにわれわれは立っていると思うのです。

 「大きな人間」は作り上げた勢力、組織、運動、さまざまなもので「小さな人間」を巻き込んで粉々にする恐れをもっています。「小さな人間」は、どうせ巻き込まれるのだけれど、巻き込まれながら巻き返すことが、私たちの根本にある倫理・論理ではないかと、私は考えています。>(初出は「世界」2007年10月号・12月号)

 小田実がこの論考を発表して18年余。

 高市早苗首相の党利党略・個利個略「解散」で日本がまたも選挙一色になろうとしているとき、そして世界がトランプに振り回され、戦争・紛争が一向に収束する兆候をみせていないま、小田実の「平和」「民主主義」の主張・思想は色あせるどころか、ますます輝きを増し、私たち「小さな人間」を叱咤激励しているのではないでしょうか。

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