身近にあった加害の歴史
5月15日、曇天の下、軍都新宿をめぐる第1回のフィールドワークが開催された。参加者は18名で、最初のフィールドワークとしては、関心の高さをうかがわせる幸先の良いものとなった。案内人は「軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会(人骨の会)」事務局長で731ネットワークの鳥居靖さん(写真)。フィールドワークのガイドとして長い経験を持ち、現地の歴史的経緯とその痕跡について詳細な説明をしてくれた。
最初に訪れたのは、射撃場跡地。普段意識していない路地の片隅に残る陸軍の境界石を示し、ここがかつての陸軍の敷地であったことを教えてくれる。射撃場の土手は現在でも残り、そこに住む者も気に留めないほど、土地の景色に溶け込んでいた。諏訪神社には天皇が射撃場を見学したという碑が立っている。
明治通りを挟んで、学習院の女子大と戸山高校一帯にはかつて近衛騎兵聯隊があった。学習院女子大の中には当時の建物が今でも残っているという。それから都営戸山ハイツの広い敷地の中を歩く。
そこにはかつての陸軍幼年学校と陸軍戸山学校があった。江戸期に尾張藩の下屋敷の庭園として造られた築山、箱根山は陸軍時代を経た後の今でも健在だ。トーチカ風の将校会議所の建物(写真上)は、いまでも不気味さを漂わせている。
それから今日のメインテーマである731部隊の総本部だった防疫研究室の跡地を見る。そこはかつての軍医学校の敷地の中にあった。今では子供たちの運動場になっている。近接する感染症研究所からは1989年に100人以上の人から集められた人骨が発見された。その由来については今も不明のままだ。その遺骨たちは厚生労働省によって、感染研内の納骨施設に納められている。感染研の周辺にはかつての軍医学校の遺跡らしきものが残るが、隠蔽されていることは否めない。
それから陸軍砲工学校跡地である総務省の第2庁舎をめぐり、安倍の肝いりでできたという産業遺産情報センターを門外からみて、今日のフィールドワークのゴールとなった。
このフィールドワークから見えてきたのは、遠いと思っていた過去の戦争は、実は私たちの身近にあったということだ。権力は不都合な歴史を隠蔽しようとするが、私たちは堀り返してでも、それを残す努力をしていきたい。(根岸恵子)