
11月1日午後、あるくラジオ第32回「労働者文化運動のこれまでとこれから」が放送された。ゲストは文化活動家の高橋織丸さん(写真中央)。高橋さんは、「憲法寄席」創作集団の中心メンバーのひとりである。1947年広島県で生まれた高橋さん。労働者文化運動ひとすじに生きてきたその生涯と、演劇から講談に至る多岐にわたる活動を大いに語った。パーソナリティの「しまひでひろ・ささきゆみ」とは旧知の友人ということもあり、話ははずんだ。
毎朝6時半にラジオ体操をして健康管理はばっちりの高橋さん。番組では、その体全身から栗原貞子「ヒロシマというとき」の詩を詠い上げた。とてもインパクトがあり心に迫ってきた。それはこの詩が、被害だけでなく加害という視点からヒロシマを表現していたからだ。以下は、放送後に寄せられた感想である。
「生涯現役」の言葉に感動しました・・・志真斗美恵
高橋織丸さんの「生涯現役」という言葉に感動しました。彼は私も所属した大学のサークルの2年先輩です。彼との交流は長いのですが、生い立ちから今日までを、まとめて話してくれて、本当によかったと思っています。彼は、一貫して文化運動をテーマに活動してきました。
ブレヒトをきっかけに、演劇に目覚め、新日本文学会の演劇ゼミナールに参加し、築地のマグロ店に就職。朝早くからの仕事で、夜は労働者の演劇活動を続けました。築地で働いたことによって身体はたくましく、積極性が身につき、性格にも影響したことなど、彼の楽しそうな語りが印象的でした。講談「マグロ塚の由来――第五福竜丸事件・大石又七遺訓」の制作にも大いにこの経験が役立ったのです。
「憲法寄席」を今日まで主宰し続けてきました。11月30日には、王子の北とぴあで「ヒロシマというとき 詩人・栗原貞子の生涯」を、構成し上演する予定とのことです。ラジオでは、栗原貞子の詩も朗読も高橋さんの朗読で聞くことができました。被爆2世として、今後も文化運動を続けるという高橋織丸さんに励まされました。

